神田うの、デザイナーとして成功した秘訣は幼少期の体験にあった

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12月9日(木)、Click Holdings株式会社・代表取締役社⻑ 半沢龍之介が編集長、ニッポン放送・前島花音アナウンサーが副編集長を務めるラジオ番組「ラジオマガジン・登龍門」(ニッポン放送・毎週木曜20時30分~21時)が放送。モデル・タレントの神田うのが出演し、デザイナーとして成功したプロデューサの視点を語った。

半沢龍之介・神田うの・前島花音

毎週様々な分野で活躍するゲストを迎えてトークする同番組。今回はデザイナーとしての顔を持つ神田うのが自身のプロデュースの秘訣を述べた。

デザイナーとしての原点はリカちゃん人形のお洋服

うの:私が幼稚園の時からやっていたことをそのままやっているだけなの。リカちゃん人形のお洋服を自分でデザインして自分で作ったりとか。お洋服で「これ変だよね」というものがいっぱいあったの。ドレスも前からみるとフワッとしてるけど、横から見たらぺっちゃんこなんですよ。立体裁断されていないわけ。だから全部自分で作り直したりしていたんですよ。それとやっていることは大人になっても変わらないんですよ。

半沢:ストッキングはもちろんですけど、下着やウエディングドレス、振り袖、ジュエリーなどたくさんのものをプロデュースされていますけど、デザインの原点はそこにあったんですね。

うの:「こんなのあったらいいのにね、なんでないの?」といって自分でよく作っていたんですね。例えば、こういうブーツが欲しいけど売ってないと思ったら自分が持っているとあるバッグをぶち壊してブーツを作ったりとか。欲しいものは作っちゃえだったんですね。

半沢:子供の時から美的センスがよかったんですよね。

うの:納得できないものが世の中多かったんですよ。あと日本のお洋服が合わなかったんですよね。肩に合わせると手がつんつるてんで短くて。

半沢:その後、パリコレのデザイナーとしても出展もされていますよね。

うの:シェーナ・ドゥーノというウエディングドレスでしたね。「パリコレに行きたいので連れて行ってください」と言われて驚いて。私はデザイナーとして日本で一番売れていたんですけど会社の人には「それ絶対無理だよ。パリコレレベルじゃないから」とはっきり申し上げたんですよ。でも熱意がすごくて「わかりました。やりましょう」といって、1年間テレビの仕事をやめて集中してやったんですよ。

半沢:あの若さでパリコレに出たことは空前絶後だったのではないかと思いましたね。

うの:最後ランウェイを歩いている時は雲の上にいるような感じでしたね。ああいう気持ちは二度とないんだろうなと思います。本当に盛り上がっていたので。みんなでシャンパンを飲んでいたというのもあるんですけど(笑)

消費者の代表であることを常に意識することが大切

半沢:うのさんはプロデューサーとして様々な商品を生み出してきましたけど、うのさん自身のビジネスにおける人生の登龍門はなんですか?

うの:常に消費者代表であること。私が消費者の代表で私がお客さん。自分が作りたいものを作る。

半沢:自分がバービー人形になって自分に着せる、作らせる。ここは自分の欲しい商品を作りきると。

前島:プロデューサーとしてではなくて、私たち使う人と同じ目線でいてくださるから「欲しい」と思う商品がたくさんあるなと思いますね。

うの:私はプロデューサーでもなんでもなくて。子供の頃からやっていることが変わらないんですよ。それが多分ビジネスになっているだけ。ビジネスにしてくださっているのは大人たち。でも今私は相当な大人ですけど、うのを使ってお仕事にしてくれている人たちが素晴らしいと思うんですよね。

半沢:うのさんの美的センスや感性を生かしきったことが成功につながったんですね。

ビジネスの成功は幼少期の原体験にあったと語る神田うの。日本のメーカーが持つ技術力にデザイン性を加えたことが大ヒットにつながったことを熱く語った。

番組情報

ラジオマガジン・登龍門

毎週日曜日 20:30-21:00

番組HP

海外発ゲームアプリの日本でのローンチのほか、電動アシスト自転車「HONBIKE」の開発、モバイルインターネットによる新ビジネスの構築から、アーティストのプロデュースまで、ひとつの企業代表にとどまらない活躍をしているClick Holdings株式会社・代表取締役社長 半沢龍之介が「編集長」となり、ラジオ番組全体を雑誌に見立て、番組を展開する。「副編集長」は、ニッポン放送アナウンサー・前島花音が担当します。
これから社会人になる若者から、日々の仕事に悩むビジネスマンまで、『聴くとタメになる』成功体験談や、日々の生活の中で抱える問題解決のヒントとなるようなエピソードを語るラジオ番組です。

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