4月10日(日)、Click Holdings株式会社・代表取締役社⻑ 半沢龍之介が編集長、ニッポン放送・前島花音アナウンサーが副編集長を務めるラジオ番組「ラジオマガジン・登龍門」(ニッポン放送・毎週日曜20時30分~21時)が放送。歌手のMay J.さんを迎えて、下積み時代の苦労を伺う。

半沢龍之介・May J.・前島花音
毎週様々な分野で活躍するゲストを迎えてトークする同番組。今回のゲストは歌手のMay J.さん。「『アナ雪』でブレイク May J.の下積み時代」について尋ねた。
前島:幼い頃から音楽に触れる環境でしたか?
May J.:父親の影響が一番強くて。私が生まれた頃から父が家でピアノ、バイオリン、ギターなどを弾いていて、そうした演奏を聴いていました。あと父親が好きな音楽がマライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストンといったDIVAの楽曲でした。その影響で自分もマネして歌っていましたね。
半沢:May J.さんの歌い方も音域が広くて声が太いですよね。だからMay J.さんの歌を一度聴くと忘れられませんよね。
May J.:R&Bというジャンルの音楽が一番好きで当時聴いていたけど、ディズニー映画も大好きでVHSビデオが擦り切れるほど観ていました。映画の最後にエンドソングが流れてくるんですよ。劇中歌とは違う歌手の方々がR&B風の歌うバージョンが好きで。
半沢:歌の勉強をされたのは何歳からでしたか?
May J.:8歳です。最初に学んだのはオペラでした。ミュージカル『アニー』が好きでよく観ていたんですけど、子役の子どもたちが通った声で歌うんですよね。どうやったらこの声が出るんだろうと思って調べたら、みんなオペラを学んでいたので私もやらなきゃいけないなと思ったのがスタートでした。
前島:ご家族も応援されてらっしゃったんですか?
May J.:父親が音楽好きだったので色んな先生を見つけたり、送り迎えをしてくたり、とても応援してくれました。
前島:オーディションも受けていたんですよね。
May J.:オーディションも父親が見つけてきてくれて。オーディションテープを録るのも父がしてくれて、それをレコード会社に送っていました。それがきっかけでデビューが決定。中学2年生の時でしたね。ただ学校が芸能活動禁止だったのでナイショでやっていました。
『Let It Go ~ありのままで~』を歌うための2つの条件
半沢:『Let It Go 〜ありのままで〜』を歌うことになるわけですがきっかけは?
May J.:2012年頃、カラオケの採点機能を使って競い合う番組に呼んでいただくようになりました。歌手にとってカラオケの採点で歌を判断されるって大変なことじゃないですか(笑)でも自分には今これしかない!と思って。当時はテレビに出られる機会もほとんどなかったので、カラオケで練習していました。26連勝をさせていただいたんですが、この番組をきっかけに応援してくださる方も増えて。ディズニーの日本のスタッフの方が私を見つけてくださいました。
『Let It Go 〜ありのままで〜』の日本版を歌うシンガーには条件があって。日本語と英語を両方で歌える人、オリジナル版のイディナ・メンゼルと同じキーを地声でパワフルに歌える人という条件がある中で選ばれたんだと思います。
初めてこの曲を聴いた時は、とんでもない難しい曲に出会ってしまったという印象でした。
半沢:どれくらい練習したんですか?
May J.:最初に歌ったのは『D23』というディズニーのコアファン向けのイベントでした。ディズニーの新作を発表するもので、ディズニーのスタッフさんも来るので英語版を歌って欲しいと言われて。その時に初めて唄いました。
映画のプロモーションにも参加させていただいて、まだ映画も公開されていないし、曲もリリースされていない環境で歌ったんですけど、みんなポカーンでした(笑)
幼少期から歌手という夢に向かって真っ直ぐに進んでいたMay J.さん。他には、クラブで下積みをしていた頃の苦労話を語った。