日本初のブライダルファッションデザイナー・桂由美 裁縫がニガテで演劇に没頭していた学生時代

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7月3日(日)、Click Holdings株式会社・代表取締役社⻑ 半沢龍之介が編集長、ニッポン放送・前島花音アナウンサーが副編集長を務めるラジオ番組「ラジオマガジン・登龍門」(ニッポン放送・毎週日曜20時30分~21時)が放送。今回のゲストは、ブライダルファッションデザイナーの桂由美。

半沢龍之介・桂由美・前島花音

毎週様々な分野で活躍するゲストを迎えてトークする同番組。今回は日本におけるブライダルファッションの第一人者である桂由美さんを迎えて、花嫁・花婿を魅了し続けている彼女のブライダルファッションのルーツに迫った。

半沢:幼少期はどのようなお子さんでしたか?

桂:東京の東にある小岩に住んでいました。駅から離れると畑や田んぼの広がる地域なのですが、いわゆる日本家屋にまじって、たまに洋風のお宅があるんです。白いカーテンが揺れていて、ピアノの旋律が聞こえてくるようなおうち。そのようなお宅のところに行くと立ち止まって動かない子供でした。

半沢:洋風のものが好きだったんですね。

桂:そうですね。うちは駅から1キロくらい離れていましたから本屋もないんですよ。父親が郵政省の官吏だったんですが、日曜になると駅まで連れていってくれて本屋に行って『シンデレラ』や『人魚姫』を買ってくれました。

半沢:お母さんは現在の東京文化デザイン専門学校を設立。そこで洋服と洋裁に興味が生まれたんですか?

桂:それが全然ダメだったんです(笑)当時は今のように洋服ばかりではないため、学校でも和裁と洋裁を両方教えるんですよ。最初にならうのが針でまっすぐに縫うこと。私はそれが不器用だったからできなくて。そうすると学校の先生から「アナタのお母さんはデザイン学校の先生をされているんですよね。アナタは長女だから後を継ぐんでしょ?」と聞いてくるわけですよ。今だから思うんですけど、先生が投げかける言葉って、子供だからってバカにしてはいけないわけで。そこで将来の生き方が決まるようなことがあるんですね。

母には優秀なお弟子さんがたくさんいたので、「私は(縫製が)あまり好きじゃないのに、なんで後を継がなきゃいけないの?」という気持ちでした。

半沢:デザインに目覚めたのはいつ頃だったんですか?

桂:遅かったんですよね。中学、高校では演劇に目覚めるんです。大きな講堂が空いていたので、授業が終わるとそこで脚本を書いて、「アナタはキレイだからこの役をやりなさいよ」とかみんなをおだてて演出もして。いざやるとなったら父兄や先生にも見てもらいたいという話になって。そうしたら周りから「天才だ」と褒められていい気になってのめり込んでいきました。

半沢:演劇には衣装もありますよね。そこでファッションに目覚めたんですか?

桂:映画『風と共に去りぬ』の中で、スカーレット・オハラがカーテンを外して洋服を作るシーンがあったんですけど、私もマネしました(笑)我が家にあった冬用のレースのカーテンが戸棚にしまってあったので、それを使って主演の子の洋服を縫ってあげたんです。冬になって母から「確かにここにカーテンをしまったはずなんだけど…」と言っていて(笑)ただそのあと母が劇を観に来てバレました。

半沢:そんなステキなエピソードがあったんですね。ブライダルに興味を持ったのはいつでしたか?

桂:ファッションの勉強のため、パリへ1年間留学して帰国した時の話です。当時、デザインの学校の先生をしていたのですが生徒さんたちに何を教えようかと思いました。普段の洋服の作り方はもう教わっているわけですから、それならウエディングドレスにしようと。そのあたりからブライダルへの興味が出てきたかもしれません。

他にも、ブライダルファッションデザイナーに進むまでの試行錯誤を明かす。

番組情報

ラジオマガジン・登龍門

毎週日曜日 20:30-21:00

番組HP

海外発ゲームアプリの日本でのローンチのほか、電動アシスト自転車「HONBIKE」の開発、モバイルインターネットによる新ビジネスの構築から、アーティストのプロデュースまで、ひとつの企業代表にとどまらない活躍をしているClick Holdings株式会社・代表取締役社長 半沢龍之介が「編集長」となり、ラジオ番組全体を雑誌に見立て、番組を展開する。「副編集長」は、ニッポン放送アナウンサー・前島花音が担当します。
これから社会人になる若者から、日々の仕事に悩むビジネスマンまで、『聴くとタメになる』成功体験談や、日々の生活の中で抱える問題解決のヒントとなるようなエピソードを語るラジオ番組です。

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