失恋ソングをほとんど歌ってこなかった大滝詠一が傷心曲「恋するカレン」を作った意義とは? 【大人のMusic Calendar】

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6月21日は1981年に大滝詠一が「恋するカレン」をリリースした日である。

大滝詠一は失恋ソングを『ロング・バケイション』になるまでほとんど歌ってこなかった。大滝としてはレアだったハートブレイク曲「恋するカレン」。その登場の意味とは? またふくよかな優しさに包まれたこの傷心曲の意義とは何だろう?

例えば、山下達郎が竹内まりやと結婚してすぐに出したシングルが、一大ハートブレイク曲「スプリンクラー」だった。あり得ないほどハッピーな二人の祝宴後すぐに歌う傷心。「一体、どんな新婚生活なんだ・・・」と思わず心でツッコミを入れずにはいられなかった。某大滝の友人ミュージシャンもラジオで「山下君、結婚大丈夫?」と笑って囃した。

失恋ソングは山下達郎にとって、シュガーベイブ「過ぎ去りし日々」以来「クリスマス・イブ」を頂点とする定番なのだ。商売の根幹である。そして当然のことながら、その路線はポップス始まって以来、売れ線の王道なのだ。しかし、山下の先輩である大滝詠一は、ポップスの王道を求めながら70年代ナイアガラでは78年「ブルー・ヴァレンタイン・デイ」以前は、はっきりとした傷心・ソングが全くない。「乱れ髪」「水彩画の街」「外はいい天気だよ」、バラードはすべて前向きラブソングだった。大滝詠一の原歌世界とは、まずは平和で美しく楽しい風景なのだ。それはさらに深読みをするならば、限りなく闇にあふれた戦争後、やっと来た平和を噛み締めた世代が持っていた優しさを想わせる。どっしりとかまえる大滝の魅力とは、父性的な包容力である。彼の原風景には、戦後の平和への希求があると思う。「せっかく平和になったのに、なぜ悲しい歌を歌う必要があるの?」と。僕等は大滝の落ち着いた歌声に、日本から消えていった父性を感じているのではないか? 大滝が岩手出身にこだわるところも、都市化で故郷を喪失していく人々へ投げる、父性的な目線を感じる。

さて「平和を歌ってきた」大滝が意を決してハートブレイクソングに向かったのが『ロング・バケイション』だ。B面には「雨のウェンズデイ」とこの曲、2大ロンリーソングが固める。元々ジョン・D・サウザーのAORの先がけとなった「ユア・オンリー・ロンリー」を聴いたことが『ロング・バケイション』制作の元になったことは本人が語る有名な話。「君が孤独な時、僕を呼んで」と歌うこうしたAORは、ロック世代が大人になったときに、自分を育んだオールディーズのフレイヴァーを生かして、ホロ苦い現実を歌うという構造を持っている。大滝がそれをひな形にしたことは間違いない。だが「恋するカレン」はさらに複雑な構造を持っている。

ジョン・レノンが深い影響を受けたというアーサー・アレキサンダーとサーチャーズの「Where have you been」、デイヴ・クラーク・ファイヴ「Hurting Inside」といった「恋するカレン」のメロディーの元ネタは、マージー・ビートの深い味わい、コクを感じさせるが、それが大滝流スペクター・サウンドに乗ったとき、従来の傷心ポップスにない奥行き感をもたらした。例えば「恋するカレン」のサウンドの原型のようなウォーカー・ブラザースの「太陽はもう輝かない」は、ひたすら「悲しみの壮大さ」を奏でる。しかし80年代、平和を希求する大滝のサウンドは「前向きな傷心」ともいうべき、ヒューマンさで、心に栄養を与えようとするような、前向きな優しさとエネルギー感を感じる。それは録音の進化で音色に粒立ちのある80年代的編曲でもたらされたものだ。

はっぴいえんどの路線も意識したというビターな「雨のウェンズデイ」との違いはそこだ。そちらは暖かさを排除している。心の平和を伝えてきた大滝は、「恋するカレン」において、スペクター・サウンドを用い、大滝らしいおおらかな包容力を持つハートブレイクソングに成功したのである。ポップス史でもレアであるそれが結実したとき、大滝自身も、自らの独自性を体感したのではないだろうか?

【執筆者】サエキけんぞう

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