この曲も、永六輔作詞だった! 歌謡曲ここがポイント!
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歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)
最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。
7月7日、七夕の日に永六輔さんが逝去されました。その偉大すぎる足跡についてはさんざん取り上げられていますので、ここでは敢えて触れませんが、『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』『遠くへ行きたい』といった大ヒット曲以外にも、ぜひ覚えておいてほしい作品がたくさんあります。今回は追悼も兼ねて、そんな「六輔ソングス」をいくつかご紹介しましょう。
フォークダンスの定番『レットキス(ジェンカ)』。もともとフィンランドの民謡だったこの曲を、日本で最初に紹介したのは1965年の青山ミチですが(訳詞はなかにし礼)、1966年にこの曲を大ヒットさせ、普及に大きく貢献したのは坂本九です。九ちゃんといえば、訳詞を担当したのは…そう、これも永六輔。
1961年に発売した『上を向いて歩こう』が世界的に大ヒットしすぎたせいか、その後レコードセールスが少々低迷していた坂本ですが、本人のキャラクターに絶妙にマッチしたこの曲は久々の大ヒットとなり、日本中にジェンカブームが起こりました。単純明快な歌詞ですが、つい口ずさんでしまうあたり、作詞家の勝利ともいえるでしょう。さすがです。
今なおラジオで流れている、菊正宗のCMソング『初めての街で』。「♪やっぱり俺は〜菊正宗」と歌っている女性歌手はいったい誰?という問い合わせがいまだに寄せられるそうですが、あの声の主は西田佐知子です。『アカシアの雨がやむとき』が大ヒット、関口宏夫人でもありますが、1975年から放送が始まったこのCMソング、実は永六輔作詞・中村八大作曲なのです。
一度聴くと耳に残るこの曲は非常に評判が良く、1979年に商品名を除いたフルサイズバージョンのレコードが発売されています。知らない街でフラッと入った店で、偶然隣り合った知らない人と仲間になる…「やっぱり俺は 一人じゃない」。酒呑みにはちょっとホロッとくる歌詞で、この曲は西田佐知子のベスト盤にも収録されています。
こんなふうに、永六輔作品の特徴は「なぜか耳に残る」こと。「♪ババンババンバンバン」でおなじみ、ザ・ドリフターズ『いい湯だな』(1968年)も、そもそもは永六輔・いずみたくコンビが全国各地のご当地ソングを作り、デューク・エイセスが歌う「にほんのうた」という企画の一環として1966年に作られた曲であり、ドリフ版の歌詞は一部変わっていますが、作詞は永六輔なのです。
これは周知の事実だと思っていましたが、半世紀も経つと若い世代では意外と知らない人が多いので、ぜひ赤線を引いて覚えておいていただきたいものです。歯磨けよ!また来週!
“永六輔ソングス”ここがポイント!
<この曲も、永六輔作詞だった!>
・ダーク・ダックス『近鉄の歌』(1966年)
…近畿日本鉄道の社歌。この頃、関西で漫才作家の仕事も手掛けた。
・デューク・エイセス『筑波山麓合唱団』(1969年)
…筑波名物・四六のガマが登場。これも「にほんのうた」が生んだ名作。
・ハイポジ『今夜はヘンな夜』(1992)
…深夜番組『2×3が六輔』のテーマソング。久々に作詞を担当。(ボーカルのもりばやしみほがレギュラー出演)
【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。