それはとても暑い夏の日に不意にもたらされた不幸なニュースだった。不慮の飛行機事故に巻き込まれ、歌手の坂本九が帰らぬ人になってから今夏で31年になる。日本のショービジネス界にとってあまりにも大きな損失。突然いなくなってしまったスターの喪失感は半端なく、享年43の余りにも早すぎる別れを人々は惜しみ悼んだ。「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」に代表される数々のヒット曲はもちろんのこと、多くの主演映画やテレビ番組で見せてくれた人懐こく優しい笑顔はいつまでも我々の記憶に刻まれて薄れることがない。今年も命日である8月12日を迎えるにあたり、歌手・坂本九が遺した偉大な功績を振り返りたい。これまでに関連書も多く、殊に世界的なヒットとなった「上を向いて歩こう」については語られる機会も多いため、ここでは普段はあまり触れられない曲やレコードについての話題を少しだけ紹介させていただこう。
日本人アーティストの記録としてはその後も破られることがない、全米チャート1位という快挙を成し遂げたジャパニーズ・ポップスの金字塔「上を向いて歩こう」の周辺については、音楽プロデューサーにして作家の佐藤剛氏が丹念な取材でその経緯を克明に記した著書『上を向いて歩こう』(岩波書店/小学館文庫)に詳しい。また、先日惜しくも世を去った永六輔も著書『六・八・九の九』(中央公論社)などで坂本九のことを書いているし、親族では妻の柏木由紀子が著した『上を向いて歩こう』(フジテレビ出版)、兄の坂本照明氏による『星空の旅人 坂本九』(文星出版)がある。生い立ちや人柄、功績についてはこれらの書に譲るとして、レコード・コレクターの観点から検証すると、その歴史はダニー飯田とパラダイス・キング時代に出されたシングル盤「題名のない歌だけど」がスタート地点になる。一般的には東芝レコードでの「悲しき六十才」(歌手名のクレジットはダニー飯田とパラダイス・キング)がデビュー盤と紹介されることがほとんどだが、本当のデビュー・シングルは1959年10月にビクターから出されたものだった。A面「何もいらない俺だけど」はパラダイス・キング名義になっているものの、ソロを取ったB面「題名のない歌だけど」は“唄・坂本九”としっかりクレジットされ、ジャケットの写真でも中心に。両面共ダニー飯田の作詞・作曲によるナンバーだが、ポップス要素の薄い暗めの歌でヒットすることはなかった。その後も滅多に中古市場に出回らない様子からも、殆ど売れなかったことが判る。坂本九のシングル盤の中では最もレアな一枚かもしれない。
翌60年8月に東芝で再デビューした後は、「ステキなタイミング」「九ちゃんのズンタタッタ」「カレンダー・ガール」といったヒット曲が連なり、61年10月にはいよいよ「上を向いて歩こう」が登場する。63年に「SUKIYAKI」としてアメリカのビルボード誌で3週連続1位を記録した際には、品番もそのままに“スキヤキ”と並列されたジャケットの新装版も出された。坂本九のレコードはジャケット・デザインが複数刷られたものは極めて少ないのだが、「上を向いて歩こう」に関しては多くの再発シングルがあり、その都度新たなデザインが施された。中でも数少ないのが、モノラルからステレオへの移行期、最後のモノラル発売時期の短い期間のみに出されていた再発シリーズの一枚で、同時期の“TR-××××”品番の「九ちゃん音頭」「明日があるさ」「見上げてごらん夜の星を」はいずれもレア盤に値する。さらに細かいことを言えば、これらは皆ジャケットが一新された中で、唯一「見上げてごらん夜の星を」だけはオリジナルと同じデザインを色だけ青から緑に変えて出されたのだった。
ステレオ時代を迎えてからのヒット「レットキス(ジェンカ)」は、当初「皆んなで笑いましょ」がA面であったが、B面に人気が集中する。世代によっては幼稚園や小学校のレクリエーションで踊らされた方も多いはず。ダブルジャケットの片側、同じデザインで「ジェンカ」と「レットキス」のタイトルのものが2種類存在するが、「ジェンカ」の方が初期盤である。広くヒットしてから改題されたため、市場に出回っているのは圧倒的に後者の方が多い。ちなみに「ジェンカ」は坂本九が主役の日本テレビのヴァラエティ番組『九ちゃん!』から生まれた歌で作詞は永六輔だが、コロムビアから出されていた実用レコードには、その元となった詞が載っており、作詞に番組プロデューサーの井原高忠氏の名がクレジットされているのが興味深い。原型の詞は井原氏のペンによるものだった様だ。
坂本九の歌の歴史上、最大の問題作が「蝶々」だろう。ビクターのなるせみよこ盤との競作となったノヴェルティ・ソングで、今見るとなんということもない詞なのだが、当時はその内容が淫猥な行為を連想させるとして放送禁止歌の自主規制が見なされてしまった。たしかに一見無邪気な詞の裏側に男女の戯れが想起されることは否めない大人の歌といえるが、猥歌と呼ぶほどのものではない。しかしながらクリーンなイメージの坂本九には決して好ましくない話題であったとおぼしく、ジャケットもB面の「自動車コブーブーブー」を大きく掲げたものに差し替えられた。繰り返し書くが、今となっては本当にどうと言うこともないことなのであるが。なお、「自動車コブーブーブー」は学芸扱いの“TS”品番による<歌って踊ろう>シリーズとしても出されており、そちらは「レットキス」とのカップリングだった。
通常の市販品では、83年に覆面歌手“XQS(エクスキューズ)”名義で出された「ぶっちぎりNO文句/おとなの童話〜今だからいうけれど〜」はちょっと珍しい一枚。ほかにもいわゆるカスタム盤(自主制作盤の類)によるご当地ソング「府中音頭」や、團伊玖磨が作曲した緑化運動のテーマソング「われら森のパトロール」、STV『ふれあい広場サンデー九』の主題歌だった「何かいいことありそうな」といった非売品のレコード、フォノシートでは山上路夫×いずみたくコンビの作による農協貯金の歌「とってもいい朝だ」などの珍しい音源がたくさんあり、市販された盤でも未CD化の作品は少なくない。世界中にコレクターがいるビートルズの如く、坂本九のレコードもまだまだ研究の余地があるのである。
【執筆者】鈴木啓之