今から39年前の1977年8月16日(アメリカ時間)、エルヴィス・プレスリーが亡くなった。死因は心臓発作。享年42歳。彼の突然の、そして余りに早すぎる死は世界中のファンたちを悲しませ、彼のファンでない人たちまでをも驚かせた。
時の合衆国大統領だったジミー・カーターは異例ともいえる追悼声明文を読み上げた。「エルヴィスの死によって我が国は自らの一部を失った。(中略)彼は世界中の人々にとって、アメリカの活力、反逆精神、明るい気質の象徴であった」と。彼の訃報を知ったファンたちがその日のうちに全米はおろか、世界中から彼の邸宅があるテネシー州メンフィスに泣きながら押し寄せた。その数、8万人。
晩年は太り過ぎで人気も落ち目と言われていたがとんでもない。チケットはインターネットなどまだなかった時代において、発売後僅か40分で完売。事実、当時のコンサートチケット売上枚数においても常にダントツの1位を記録していた。そして死して40年近く経った今も年に50億円以上を稼ぐ彼の魅力とはいったい何なのか? などと毎年この命日が来るたびに考えてしまう自分がいた。
何故こうも多くの人々を惹きつけるのか? 45年以上エルヴィスを聴いてきた人間として辿り着いた一つの答えが彼の誠実さにあるというものだった。それは人に対しても、仕事に対しても、そして時代に対しても、彼を取り巻く全てのものに対して彼はいつも誠実な人だったということだ。
そんな彼の誠実さは彼が残した語録の中からも読み取ることが出来る。
「どんな音楽も、人に悪い影響を与えるということはありません。少年犯罪率にロックンロールが多大な影響を及ぼしているとマスコミは言っているけれど信じられません。アメリカ中の少年犯罪の原因が僕だと言われています。少年たちに悪い考えを起こさせるとか、ワイセツだとか。僕は人前で、特に少年たちの前で、ワイセツなことをする人間じゃありません。そんなふうに育てられた覚えもありません」
「レコードと同じものをステージから客たちに提供してもつまりません。それでは家でレコードを聴いているのと同じですから。だから僕はレコードでは味わえない、それ以上のものを、プロとしてステージではやっているのです」
「僕は非常に幸運でした。音楽界にはっきりした傾向がなかった時に僕が現れたのです。人々が何か違ったものを待望していた、丁度そんな時に僕が世に出たのです」
「芸能界は予測し難いところです。人は変わるし、時代も変わる。だから10年後の自分がどうなっているかなんて予測出来ません。今言えることは、努力し、経験を積んでいけば何とかなるだろうということです。だけど僕がどのくらい続くかは、本当のところ全くわかりません」
「僕は人を喜ばせてあげたいんです。それが僕の死ぬまでの目標です」
「エンターテイメントの分野では、僕は誰も非難出来ません。誰もがその人の場を持っているからです」
「声だけなら普通のものです。その声をどう使うかが勝負です」
「僕はこの人気商売に気を許すつもりはありません。神が僕に“声”を与えてくださったのです。もし僕が神に背くようなことがあれば、身の破滅です」
など、どれもエルヴィスが質問してきた記者に対して誠実に受けごたえした言葉の数々だ。また彼はこんな言葉も残している。「イメージとその人間自身は別のものです。ひとつのイメージに添って生きるということは難しいことです」と。
エルヴィスは自分を愛するファンたちが自分に抱くイメージに最大限応えるべく、常に誠実に生き、それ故に42歳という若さでこの世を去ってしまったのかもしれない。命日に彼の歌声を聴く。そしてそこにある彼の誠実さにやはり僕は感動せずにはいられないのだ。
【執筆者】ビリー諸川