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ビートルズの「ヘイ・ジュード」はイギリスの人気俳優、ジュード・ロウを観るたびに思い浮かぶ歌でもある。なにしろ、ビートルズの大ファンだった彼の両親は、作品のヒットから4年後に生まれた自分たちの子供に迷わずその名を付けるほど、この歌のインパクトは大きかったのだ。
その「ヘイ・ジュード」はビートルズ自身が設立したレーベル、アップルから発表された、記念すべき第1弾シングルという超話題盤で、本国イギリスでは1968年8月30日に発表された(注・アメリカは8月26日、日本は9月14日)。
ヒット・チャートではイギリスでこそ2週連続の第1位に留まったが、アメリカでは当時にすれば異例に近い第10位に初登場し、エントリー3週目には第1位になり、そのまま9週連続でトップの座をキープ。ビートルズ最大のヒット曲になっている。また、最終受賞こそ取り損なったが、第11回グラミー賞では最優秀レコードと最優秀ソング、最優秀コンテンポラリー/ポップ・グループの3部門にノミネートされるほどの高い評価を得ている名曲だ。
今ふりかえってみても、確かに強烈な印象を残している1曲である。シングルとしては珍しく、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」(6分00秒)などを越える7分11秒という長さ。しかも、曲の前半と後半では大きく異なる、大胆かつ斬新な曲構成。これだけでも十二分にインパクトが強いのだが、味わい深い歌詞と美しいメロディ、さらに曲の背景にあるストーリーもファンの心を捉えていると思う。
多くの方がご存知のように、「ヘイ・ジュード」はジョン・レノンとシンシアの離婚が決まった時にふたりの息子、ジュリアンを励ますためにポール・マッカートニーが書いたと言われている作品である。80年代に歌手としてデビューするジュリアンも当時はまだ5歳。それを考えると、“くよくよしないで”とか“悲しみを君の肩で背負わないで”といった歌詞が痛ましく響いてくる。ただし、この曲を聴いたジョンは自分と新しいパートナーであるヨーコ・オノを祝福している歌と解釈。ドリフターズの初期の歌やサム・クックの影響が感じられると言いつつも、「間違いなくポールが作った最高傑作のひとつ」と評価している。また、当時のポールもジェーン・アッシャーと別れ、後に結婚するリンダ・イーストマンと親しくなった頃であり、そのことを考慮すると、愛における決断の大切さなどをテーマにしている歌にも聴こえてくる。
その他のビートルズ・ナンバーと同じく、この曲もポール・モーリアからトム・ジョーンズ、ホセ・フェリシアーノ、エルヴィス・プレスリー、グレイトフル・デッドなどまで、数多くのアーティストがカヴァー。直接ビートルズとは関係ないけれども、その中で唯一、ヒットしたのがラスト・ソウル・マンと呼ばれたウィルソン・ピケットのシングル(68年発表/第23位)で、オールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン・オールマン(ギター)が参加したそのヴァージョンをサザン・ロックの始まりと評価するミュージシャンもいる
【執筆者】東ひさゆき