吉田美奈子のデュー・アルバム『扉の冬』は、トリオ・レコード内に発足したショーボート・レーベルの第一弾として73年の9月21日に発売された。同時にリリースされたのが南佳孝の『摩天楼のヒロイン』であったのだが、この2枚のアルバムによって、新しく出来たショーボートのレーベル・カラーは決定づけられたと言ってもいい。
日時はともかく、73年という時制について着目していただきたい。誰もが耳にして驚かされるのは、その完成度の高さだ。これほどまでに美意識を前面に押し出したアルバムも珍しいかと思う。そしてこれが、70年代の初頭に作られたことに、改めて驚かされる。細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆からなるキャラメル・ママの演奏が素晴らしいのは言うまでもないが、実に自然に、シンガーとバック・ミュージシャンとの最良の関係が出来上がっている。これは吉田美奈子が持つ<個>の力なのだと思う。
シンガー・ソングライターとは、単に自作自演をするシンガーのことではない。他の誰にも置き換えの出来ない自分自身を表出していく。これがなければ、真のシンガー・ソングライターとは言えないのだ。この意味においても吉田美奈子の『扉の冬』は、最上級の出来映えだと言える。
音が出た瞬間から、まるで波紋が広がっていくように歌が心に染みこんでくる。過剰なアレンジもギミックな伴奏もなく、ただ静かに歌の色合いが音となって描き出されていく。ソウルやゴスペルのフィールを壁紙のように自然に貼り込んでいく手法には、思わず目を見はってしまうばかりだ。うっすらと描き出されていく都会の陰り、そして日常における感情の機微など、これはそれまでの日本の音楽にはなかった色使いであり、まさしく吉田美奈子の音楽であったのだ。
<出来すぎてしまったデビュー作>といった感もあるアルバムであり、まさに名盤と呼ぶのに似つかわしい。がしかし、その<名盤>という呼称すらも寄せ付けないほどの孤高の美を作り上げているように思う。これは彼女の第一歩であったのだ。その後も、より深くより豊かに<吉田美奈子の世界>を築き上げていくのは、皆さんもご承知の通り。歌に魅入られ、そしてその中で大きな翼を広げていく、この奇跡の誕生を克明にドキュメントしたのが73年の『扉の冬』なのだ。
【執筆者】小川真一