エルヴィス・プレスリーやビル・ヘイリーがこじ開けたロックンロールの爆発的なブームに乗り、将来有望な若手白人ロックンローラーが次々とシーンにデビューした1950年代半ば。バディ・ホリー、ジェリー・リー・ルイス、ジーン・ヴィンセント、カール・パーキンスらとともに活躍したのが、エディ・コクランだった。
エディ・コクラン(本名Edward Raymond Cochran)は、1938年10月3日、ミネソタ州のアルバート・リーという小さな町で生まれた。“ギターは親友”と言い、肌身離さずギターを抱えていた少年は、カントリーの名手チェット・アトキンスをマネて腕を磨き、16歳のときにはセミ・プロ・バンドにギタリストとして参加。やがて、コクラン・ブラザーズを結成してカントリーをプレイし、人気を集めはじめた矢先、南部から突如現れたエルヴィス・プレスリーに衝撃を受け、ロックンロールに興味を持つようになる。
エディは、活動拠点のハリウッドにあったリバティ・レコードから、57年に「バルコニーに座って」でデビューすると、いきなり全米18位のヒットを記録。翌58年夏の「サマータイム・ブルース」の大ヒット(最高8位)により、その人気を確立した。
エディのロックンロールがユニークだったのは、ロックンローラーとしてだけでなく、セッション・ギタリストやソングライターとしても非凡な才能を持っていた点で、彼がホーム・グラウンドにしていたゴールド・スター・スタジオにおいて、フィル・スペクターに先がけてエコー・サウンドを多用し、多重録音のアイデアを試みたりしていた。「バルコニーに座って」のヴォーカルにかけられた独特のエコー処理を聴けば、そのユニークさがよく分かるはずだ。
60年、エディは友人のジーン・ヴィンセントと初のイギリス・ツアーを行なう。このときの公演は、ビートルズのポール・マッカートニーやジョージ・ハリスン、ザ・フーのピート・タウンゼントなど、多くの現地ロッカー少年たちに影響を与え、伝説として語り継がれることになるが、すべての公演を終えて空港に向かう途中、エディは交通事故で帰らぬ人となってしまった。享年21という若さだった。そんな悲しい出来事もあって、イギリスにおけるエディ人気には、本国アメリカ以上に特別なものがあり、彼の死後、多くのメモリアル・アルバムやレア・トラック集などがリリースされている。
エディがその後のシーンに与えた影響の大きさは、ザ・フー、ブルー・チアー、T・レックス、UFOから、セックス・ピストルズ、フライング・リザーズ、ストレイ・キャッツまでに至る、様々なアーティストによるカヴァー・ヴァージョンが、雄弁に物語っている。なかでも、ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーはエディの熱烈な信者であり、エディと同じグレッチのホロー・ボディー・エレクトリック・ギターを愛用している。
そして、忘れてはいけないのが、57年7月6日、ポール・マッカートニーとジョン・レノンがリヴァプールの教会で初めて会ったときのエピソード。ポールはジョンにギターの腕前を披露するために、エディの「トゥウェンティー・フライト・ロック」を演奏し、ジョンはそのプレイに感心して、ポールをクォーリーメン(ビートルズの前身バンド)に誘う。ちなみに、この「トゥウェンティー・フライト・ロック」は、イギリスにおけるエディのデビュー・シングルとして、57年4月に発売されたばかりのホットなレコードだった。
ポールとジョンを引き合わせたエディ・コクランのロックンロール。こうして歴史は引き継がれていったというわけだ。
【執筆者】木村ユタカ