1971年10月5日、加藤和彦のセカンド・ソロ・アルバム『スーパー・ガス』がリリースされた。
フォーク・クルセダーズを解散した加藤和彦は、69年に最初のソロ・アルバム『ぼくのそばにおいでよ』を出している。しかし、この作品は彼にとって不本意なものとなった。加藤はこのアルバムを『児雷也』というタイトルの2枚組作品としてリリースするつもりだったがその意向は叶えられず、曲目も変更せざるを得なかった。そのかわり、ジャケットに加藤和彦の抗議文を掲載して発売されることとなった。
その後、彼はアメリカ、イギリスを訪れ、刺激的な音楽ムーブメントの台頭をリアルタイムで体感していく。その体験を踏まえて、帰国後に制作されたのが『スーパー・ガス』だった。
全体にアコースティック・タッチのサウンドでつくられている『スーパー・ガス』は、一見、前作に続くフォーク・テイストのアルバムに見える。しかし同じアコースティック・サウンドでも、そこにはCSN&Yなどの洗練されたアンサンブルや、カントリー、トラッドなど、アメリカやイギリスの最新サウンドトレンドが色濃く反映された、きわめて先鋭的なアルバムだった。
一曲目の「家をつくるなら」はもともとオリジナルとしてつくられた曲だが、住宅会社のCMとして使用されてヒット、その後のCMタイアップ楽曲の先鞭を切ることになった。さらに当時のライヴでの定番曲となった「不思議な日」「もしも、もしも、もしも」など、彼ならではの幻想的なムードに満ちた曲も聴くことが出来る。このほかにも、おそらくファーストアルバムに収録されるハズだったと思われる「児雷也冒険譚」も、やや大時代的歌詞とブリティッシュトラッドのテイストの出会いが不思議な雰囲気を醸し出しているし、東洋音階と言葉遊びのハイブリッドともいうべき「魔誕樹の木陰」など、どの曲も一筋縄ではいかない面白さをもっている。
それぞれの収録曲はきわめてバラエティ豊かなのにかかわらず、『スーパー・ガス』は前作の『ぼくのそばにおいでよ』と比べてはるかに統一感を感じる。それは、全ての曲を、作詞:松山猛、作曲:加藤和彦が手掛けていることで、ある意味純度の高い世界観が生まれているせいなのだと思う。そして、この世界観がこの直後に加藤和彦が結成するサディスティック・ミカ・バンドにも流れ込んでいった。だから、『ぼくのそばにおいでよ』がフォーク・クルセダーズの余韻を感じさせるアルバムであるのに対して、『スーパー・ガス』はサディスティック・ミカ・バンドの前兆を感じさせるアルバムになっているのだ。
他にも『スーパー・ガス』には特筆すべきことがある。この作品のライナーノーツには歌詞だけでなく、参加ミュージシャンやプロデューサーの名前も表記されている。これが、おそらく日本のレコードで最初のプロデューサー・クレジットだ。ちなみにプロデューサーは“K.KATO & Mr.MORNING with a little help from K.NITTA”と表記されている。Mr.MORNINGとは朝妻一郎(PMP・当時)、K.NITTAは新田和長(東芝レコード・当時)
のこと。また、このレコーディングでいち早くシンセサイザーが使われていることも、加藤和彦の先駆性を示すエピソードとして特筆していいだろう。
加藤和彦の音楽性の高さや革新性を再確認できるアルバムは多いが、『スーパー・ガス』に感じられる若さと瑞々しさは、まさに初期作品ならではの魅力だ。
【執筆者】前田祥丈