10月13日はエド・サリヴァンの命日となる。
日本の司会者に比べると、決して愛想は良くない。むしろ、ぶっきらぼうだ。また、旬の人気アーティストを紹介する時でさえ必ずしも好意的ではないし、気の利いた質問をするわけでもない。断わっておくが、彼、エド・サリヴァンの番組「ザ・エド・サリヴァン・ショウ」は、音楽番組ではない。それにもかかわらず、彼の名前が海外の音楽ファンにまで知れわたっているのは、極論すると、エルヴィス・プレスリーとビートルズが番組に出演し、大ブレイクするひとつのきっかけになったと評価されているからだろう。
彼は1909年9月28日、ニューヨーク・シティの生まれ。地元の新聞、ザ・ニューヨーク・デイリー・ニュースの演劇関連のコラムニストとして認められ、世の中がテレビの時代に移行しつつあった48年の6月20日から、当初は「トースト・オブ・ザ・タウン」という名称だった、CBS系列のヴァラエティ番組の司会に抜擢される。他のヴァラエティ番組が苦戦を強いられる中、彼の番組が人気を得たのは、自動車のフォード社がスポンサーとして後押ししてくれたことが大きかったようだ。また、ヴァラエティの名にふさわしく、歌手からコメディアン、手品師、ボリショイ・バレエ団、さらにはネズミのゆるキャラのトッポ・ジージョまで、様々な分野の様々なものを紹介した。これは彼の新聞記者的な客観性や好奇心がもとになっているようで、その姿勢が認められて番組は1971年6月6日まで、実に23年間も続く。彼は1974年10月13日に食道がんのため73歳で亡くなるが、人生の中盤から終盤までを番組に捧げた格好だ。
ところで、彼にとって新しい音楽だったロックン・ロールに対しても他の分野同様、あくまでも“ワン・オブ・ゼム”という捉え方だったようだ。初めてロック系のアーティストが出演したのは1954年12月12日のクルー・カッツ。1956年9月9日に出演したエルヴィスは4例目だった。しかも、同じ日曜日の夜8時にライヴァルのNBC系列で放送されている「ザ・スティーヴ・アレン・ショウ」がいち早く同年7月1日にエルヴィスを出演させて大きな視聴率を稼いだことに脅威を感じ、あわててエルヴィスに出演交渉をした次第だ。当時、番組の平均視聴率は38.4%だったが、エルヴィスの回は実に82.6%。5,400万人が観たと言われ、伝説が生まれたのだ。この日、エドは番組を休んでいたが、エルヴィスが3回目に出演した1957年1月6日にはあまりにセクシーなアクションを考慮して、腰から上だけを映す、これまた伝説的な措置がなされている。
一方、1964年2月9日のビートルズの場合は、彼らのアメリカにおけるテレビ・デビューの日であった。前年の11月に彼らのマネージャーのブライアン・エプスタインがアメリカに赴き、番組スタッフと入念な話し合いをした効果もあって、エンターテイメント関連の番組としては史上最高となる7,300万人が視聴したと言われている。ちなみに、当日の番組にはミュージカル「オリヴァー!」の関係者も出演しており、その中には後にモンキーズで大人気を博すことになるデイヴィー・ジョーンズがいた。
【執筆者】東ひさゆき