今年の夏の大ヒット映画『シン・ゴジラ』(東宝/2016年7月29日封切/総監督・脚本:庵野秀明、監督・特技監督:樋口真嗣、主演:長谷川博己)は、もうご覧になられただろうか。関係者に対してすらほとんど試写会が行われないなど、公開日まで徹底した情報統制がとられ、謎のベールに包まれた作品として大いに期待されたが、蓋を開けてみれば、“ゴジラ”という巨大不明生物が初めて日本に襲来するという異常事態を、極めて冷静、克明、かつ、大胆に描き出すという、その期待に十二分に応える作品であった。いわゆる「怪獣対怪獣」映画となっていった後の続編シリーズのスタイルを踏襲するのではなく、あくまでも第1作目の映画『ゴジラ』(東宝/1954年11月3日封切)の舞台を現在に置き換えて、そのリブートに真正面から挑戦した作品であったと言えるだろう。本日、11月3日は、すべてのゴジラ作品の礎、第1作目の『ゴジラ』が封切られた日として、「ゴジラの日」となっている。
かつての『ゴジラ』シリーズ、あるいは東宝特撮映画、さらには「昭和の日本映画」そのものへの深いリスペクトが随所に感じられる作品であることは、誰の目にも明らかな『シン・ゴジラ』だが、この「敬意」がもっとも分かりやすい形で表現されていたのが、「誰の目にも」ではなく、「耳」を狙ったものであったことが大変興味深い。お気づきのとおり、『シン・ゴジラ』劇中には、東宝特撮映画のためにかつて伊福部昭が創りあげた劇中音楽が、ふんだんに引用されていたのだ。基本的に『シン・ゴジラ』の音楽担当者は、作曲家:鷺巣詩郎となっているが、ここぞという名シーンでは、伊福部サウンドが劇場に鳴り響いていた。スタッフロールでの正式な表記も、「音楽:鷺巣詩郎」、少し間をおいて「伊福部昭」となっており、続いて、『ゴジラ』『キングコング対ゴジラ』『メカゴジラの逆襲』『宇宙大戦争』『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣大戦争』『ゴジラVSメカゴジラ』……と、音楽の引用元である錚々たる映画タイトルが並ぶ。しかし、このようなハイブリッドな音楽制作体制は、ややもすると粗雑なパッチワークのように、映画全体のイメージをバラバラにしてしまう可能性もあったはずだ。だが、鷺巣による総合的な音楽設計と絶妙なコントロールが、そうはさせなかったのである。鷺巣の音楽と伊福部の音楽が見事にとけあうことで、伊福部昭のスコアは、ゴジラのための最新のサウンドトラックとして、数十年の時を超えて甦ったのだ。
しかし、数十年前のモノラル音源をそのまま使用しては、ダイナミックレンジの広い効果音、音楽、セリフの入り混じる現在の映画音響の中に埋没してしまう。自然なステレオ効果を加味した「埋まらない伊福部サウンド」はどうすれば成立するのか……。そこで鷺巣が取った秘策は、「上から演奏をなぞり、オリジナル音源に微かに配合する」(CD『シン・ゴジラ音楽集』各曲解説:鷺巣詩郎より)という仰天の荒業だった。指揮者による演奏のため、当然、テンポが揺れているオリジナルの伊福部音楽を、すべて1拍ずつのタイミングに分解してデジタル・レコーディング・システムに記録し、1拍ずつテンポが微妙に変化する、「その曲ならではのクリック音」を制作する。そして、ロンドン:アビーロード・スタジオにおいて38名からなるスタジオ・オーケストラが、そのクリック音に合わせて演奏し、オリジナルの伊福部音楽の上に新たな薄紙を敷いていくような、繊細極まるレコーディングが行われたのだという。
だが、完成までに約5か月を要したという、そのステレオ化音源は、『シン・ゴジラ』では使用されないという、壮烈などんでん返しが訪れるのだ。真のオリジナル版であるモノラル音源を使用するという判断を、最終的に庵野秀明総監督が下したのだそうだ。
映画公開翌日にリリースとなったサウンドトラック盤CD『シン・ゴジラ音楽集』は、オリコンデイリーチャート1位を記録。歴代「ゴジラ」関連作のアルバムでは最高位を獲得し、9月半ばの時点で売り上げは、サントラ盤としては近年異例なほどの5万枚を売り上げている。映画本編で使用されなかった「幻のステレオ化音源」は、このCDに収録されている。5か月間の労力と情熱は、雲散霧消してしまったわけではないのだ。
そして、ファンが待ちに待った映画『シン・ゴジラ』公式記録集「ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ」が、12月中旬(予定)に発売される。映画公開後も、演出の趣意についてほとんど公言することのなかった庵野秀明総監督が、初めて公式に「意図開き」を行う機会として注目されている。主要スタッフへのインタビュー記事も充実しており、その中にはもちろん、作曲家:鷺巣詩郎への取材も含まれている。伊福部音楽使用の真意も、そして、あの「どんでん返し」の真相も、ここで初めて、その全貌が明らかになることだろう。高価な本ではあるが、この夏、『シン・ゴジラ』に心奪われ、かつて「怪獣映画」に心躍らせたあの日の熱さを思い起こされた方ならば、手に取ってみて損はないはずだ。
【執筆者】不破了三