11月17日は、酒井政利ディレクターの誕生日。南沙織、郷ひろみ、山口百恵ら数多くのスター歌手を世に送り出し、日本の歌謡史の流れを変えた名ディレクターである。
現在でもメディア・プロデューサーやテレビコメンテーターとして活躍している酒井氏だが、70年代には当時のCBSソニーの邦楽ディレクターとして数多くの傑作を生み出した。元々は1961年に日本コロムビアに入社、そこでディレクターとしてのキャリアをスタートさせている。入社1年目にしてディレクターに抜擢されるが、この背景には「クラウン騒動」と呼ばれる、コロムビアレコードの分裂騒ぎがあった。多くのベテランディレクターの退社により、新人の酒井氏に仕事が回ってくるようになったのだという。
ここで酒井氏が最初に担当したアーティストは守屋浩。その後こまどり姉妹、鈴木やすし、麻生京子らに続き島倉千代子を手がけることになる。
守屋浩はロカビリアンとして一時代を築いたあと低迷期に入っていた。そこで酒井氏は「大学かぞえうた」というコミカルな楽曲を制作しヒットに結びつける。島倉千代子の場合もやや行き詰っていた状況を打破するため、リズミカルなポップスを歌わせることにした。それが「ほんきかしら」で、この曲のヒットで島倉は得意の「泣き節」イメージから脱却し、新たな一面をみせることに成功した。
さらに、大和書房から発売されていた、骨肉腫で亡くなった恋人との日々を綴った手記を元に、「愛と死を見つめて」を制作。青山和子の歌で爆発的にヒット、日活でも映画化される。
この、コロムビア時代に経験したノウハウが、同社を退社後、創立間もないCBSソニーで全面開花するのだ。言うなれば「低迷する歌手の再生術」である。
70年にはクラウンから移籍してきた朝丘雪路に、なかにし礼=筒美京平コンビによる「雨がやんだら」を歌わせ、オリコンチャート5位の大ヒットになる。ムーディーなサウンドだが、筒美京平流のポップ・センスが随所に挿入され、「ムード歌謡のポップス化」に成功。71年にはラテンの女王として一世を風靡した坂本スミ子に、「コンドルは飛んでいく」風のフォルクローレ歌謡「夜が明けて」を制作、こちらもヒットに結びつけた。
朝丘、坂本の成功をさらに推し進めたのが、73年の金井克子「他人の関係」。西野バレエ団のレ・ガールズの一員として活躍していたが、歌手としてはヒットのなかった金井を、交通整理のような振付けとロボットのように無表情な歌唱で歌わせ、大人のシンガーに変身させた。続いて東芝で泣かず飛ばずだった大形久仁子をソニーに呼び、内田あかりの名を与え「浮世絵の街」でヒットに導く。彼女の衣装は山本寛斎のデザインで、バックからライトを当てると浮世絵が浮かび上がった。このようにベテラン女性歌手の再生は、ポップス化に加え、ロングドレスの華麗なビジュアルという形で進化していく。それは「愛と死を見つめて」を成功させた「企画力」の賜物でもあり、その最大級の成功が、79年のジュディ・オング「魅せられて」であったことは言うまでもない。
もうひとつ、酒井氏の仕事で忘れがたいのが、寺山修司との関わり。寺山が主宰していた劇団・天井桟敷に日参し、アルバム『初恋地獄篇』を制作。その後、寺山が作詞とプロデュースをつとめたカルメン・マキも手がけ、デビュー曲「時には母のない子のように」を大ヒットさせる。彼女のもつ生の存在感に惹かれた氏は、こんなアイドルがいたらいい、と思っているところに登場したのが、沖縄のテレビ局の人間が持ってきた1枚のポートレートだった。それが内間明美という少女で、のちの南沙織である。芸能人らしからぬ自然体の魅力を持つ彼女は、デビュー曲「17才」を大ヒットさせ、アイドル・ポップスという新たなジャンルを切り拓いていく。
南沙織は「17才」から15曲連続で有馬三恵子=筒美京平のコンビが手がけている。その後の郷ひろみにおける岩谷時子=筒美京平コンビや、山口百恵の千家和也=都倉俊一コンビなど、酒井氏担当のアイドルたちは、同じ作家で長く楽曲提供を続けることが多い。これは、移ろいやすい時期の変化を知っている、生みの親から離れてはいけないという氏の方針でもあった。それは「歌の主人公が、歌手の年齢とともに自然に成長していく」という、後のアイドル・シンガーの歩み方を作り上げたと言い換えてもいいだろう。南沙織に関してはリズム感の良さを強調した洋楽的な楽曲を数多く作ったが、山口百恵に関しては、女優的な雰囲気もあり、言葉に入り込んでいくタイプと考え、強い言葉を乗せた詞を意識したという。70年代ソニーのアイドル・ポップスが押し並べて文学的でかつ映像喚起力が強いのは、もともと映画製作を志していたという酒井氏の発想によるところが大きい。
酒井政利氏の楽曲制作でひとつ独特な点がある。それは「曲のタイトルを先に決めること」。タイトルが意味する曲のコンセプトを先に作詞家、作曲家に提示するのである。ことに南沙織のシングル曲はほとんどすべてタイトル先行だった。また、郷ひろみのデビューに際し、作詞の岩谷時子に「男の子女の子」というタイトルを渡して岩谷を唖然とさせたという。こういったエピソードには事欠かず、百恵の「夏ひらく青春」の際には「むすんでひらいてみたいな曲で行きましょう」と想像の斜め上を行くアイデアを出したという。企画性や路線の決定と、自然体の成長という背反するテーマをみごと両立させ、70年代の歌謡ポップス黄金時代を築いた功績は、限りなく大きい。
「他人の関係」「魅せられて」「17才」「時には母のない子のように」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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【執筆者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。