11月23日はシーナ&ロケッツの歌姫シーナの誕生日。そして1978年にシーナ&ロケッツがデビュー・ライヴを行った日だ。この日を記念して今年も下北沢CLUB QUEでバースデー・ライヴが行われる。
1978年、福岡を代表するバンドだったサンハウス解散後、ギタリストだった鮎川誠は新天地を求めて上京する。当初は単身の予定だったが、彼の最愛の妻であるシーナはいたたまれず、家族のサポートもあり後を追った。新バンドでレコーディングを始めていた鮎川に、シーナは言った。「私、歌いたいの」。鮎川は「よし、シーナがヴォーカルをとるバンドを作ろう!」と即決、シーナ&ロケッツが誕生した。
シーナは子供の頃から音楽が好きで、米軍関係の仕事をしていた父が始めたダンス・ホールで洋楽のジャズやポップスを聴いて育った。やがてロックに夢中になり、バンドが演奏するホールへと足繁く通うようになる。そして鮎川と出会い結ばれた。上京した時には双子の娘たちがいたけれど両親が育児を引き受けてくれ、鮎川夫妻はバンドに専念することができたという。
ロケッツというバンド名は”ロック”とシーナの本名エツコを組み合わせた造語で”ROKKETS"とspellingするのが彼らのこだわりだ。シーナというステージネームはラモーンズの名曲「シーナはパンク・ロッカー」から。バンド名だけで、どんなバンドか想像できる。そのイメージ通りの楽曲やステージングで彼らは突き進んできた。「You May Dream」「スウィート・インスピレーション」などシーナのヴォーカルなくして成立しないだろうと思う曲があるし、サンハウスの代表曲でもある「レモンティー」などもシーナの歌でイメージを一新した。
独自の活動をしているシーナ&ロケッツに批判的な人もいたが、シーナは「いいのよ、言わせておけば」と馬耳東風。彼女の芯の強さ、つねにポジティヴな精神にはいつも感服していた。鮎川もこう記している。「シーナが持っている楽天的な考え方が、どれだけ俺を救ってくれたか測り知れない」(シーナ自伝『YOU MAY DREAM』より)
ヴォーカル・トーレーニングを受けることもなく歌い始め、過酷なツアー生活もあったことから喉にポリープが出来て手術をうけたのが2009年。それ以前から声が出にくく歌うのが辛そうに思えることもあった。しかし彼女は歌を止めることはなく、ステージに立ち続けた。それは彼女の信念でもあったのだろう。ロックを人生に選び、ロックを生業としてきた信念が、いつも彼女から感じられた。
シーナは残念ながら昨年(2015年)2月14日、還らぬ人となったが、皆の心の中に生きている。そしてロケッツとともに歌い続けている。
【執筆者】今井智子(いまい・ともこ):『宝島』編集部で、音楽記事担当者として同誌の編集・執筆に携わる。1978年フリーとして執筆活動を開始。以後、「朝日新聞」レコード評およびライヴ評、「ミュージック・マガジン」などを始め、一般誌・音楽誌を中心に洋邦を問わずロックを得意とする音楽評論家/音楽ライターとして執筆中。著書「Dreams to Remember 清志郎が教えてくれたこと」(飛鳥新社)など。