1981年の12月21日、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」がオリコン・チャートの1位を獲得した。同年11月21日にキティ・レコードから発売された薬師丸のデビュー曲であり、彼女が主演した同名映画の主題歌である。
この曲は作詞が来生えつこ、作曲が来生たかおの姉弟によるもの。作曲者である来生たかおはシンガー・ソングライターでもあり、たかおはキティ・レコードの社員としてインペグ業務(レコーディングのために、アレンジャーから指名されたミュージシャンを揃える仕事)に従事しながら楽曲を書き溜めていた。来生姉弟は77年にしばたはつみの「マイ・ラグジュアリー・ナイト」で初ヒットを出し、たかおは松任谷由実の78年のアルバム『流線形’80』で「Corvett1954」をユーミンとデュエットし知名度を高めたが、自身の歌う楽曲にヒットはなかった。
キティグループのキティ・フィルムが角川春樹事務所と提携して赤川次郎原作の『セーラー服と機関銃』を映画化することが決まり、当初、主題歌は来生たかお自身の歌唱で話が進んでおり、「夢の途中」としてレコーディングも済んでいた。だが、薬師丸ひろ子の所属する事務所の社長でもある角川春樹が「夢の途中」を気に入らず、監督の相米慎二が同曲を薬師丸に歌わせることを提案、キティ・レコード社長多賀英典の決断で主題歌は薬師丸自身が歌うことになり、角川春樹も折れたという。このあたりの経緯は同映画のプロデューサー伊地智啓の自伝『映画の荒野を走れ』(インスクリプト刊)に詳しいが、この決定に姉の来生えつこは激怒し、たかおのレコード会社移籍騒ぎにまで発展した。
結果として薬師丸版と競作の形で、たかお自身が歌う「夢の途中」もリリースされることとなる。たかおは、元々自身で歌うための曲だったので、女性歌手、しかも新人のデビュー曲には難しすぎるのではと考えていたが、薬師丸の確かな音程を聴いて安心したと述懐している。
また、角川春樹は薬師丸が歌うことに関して、ひとつだけ注文をつけた。それはタイトルを「夢の途中」から「セーラー服と機関銃」に変えること。なるほど映画プロデューサー的な発想であるが、歌詞には「セーラー服」も「機関銃」も出てこないので、映画も歌も大ヒットしたからいいようなものの、歌だけ取り上げると何のことやら意味不明なタイトルであることは言うまでもない。また、薬師丸版と来生版では一部歌詞が異なるが、作詞の来生えつこが細かく歌詞の修正を行い、映画撮影中の薬師丸のもとにその都度ファックスで送っていたため、差し替え間違いが起きて、一部分だけ歌詞が違う事態になったそうである。
これが歌手デビューとなった薬師丸ひろ子だが、ビブラートを使わないクリアなヴォーカル、一音ずつ丁寧に歌う発声法は、松田聖子以降のアイドル全盛時代にも新鮮な響きをもって届いた。そういった彼女のスタイルは吉永小百合ら清純派女優の伝統的な歌い方であったが、この時代には映画主題歌を主演女優が歌うスタイルがほぼ皆無な状況であったため、一層新鮮に聴こえたことは言うまでもない。
これ以降、角川映画では所属の主演女優が主題歌も担当することが定着し、薬師丸自身も「探偵物語」での大瀧詠一、「メイン・テーマ」での南佳孝、「Woman“Wの悲劇”より」での呉田軽穂(松任谷由実)と、自身の主演作の主題歌を一線級のアーティストの作曲で歌っていくことになる。
来生たかおはその後、同じ角川女優の原田知世にデビュー曲「悲しいくらいほんとの話」を提供するが、これもまたドラマ版『セーラー服と機関銃』の主題歌となった。以降、中森明菜「セカンド・ラブ」や大橋純子「シルエットロマンス」など姉のえつこと組んでヒット・メーカーへとブレイクしていく契機となったのが「セーラー服と機関銃」であったのだ。
『セーラー服と機関銃』はその後、2006年に長澤まさみ主演でテレビドラマ化、2016年には橋本環奈主演で映画化されているが、そのたびにこの曲が主題歌として使用されている。長澤版は役名の星泉名義で歌われているが、長澤、橋本ともに薬師丸版を踏襲した「清純派女優らしい歌い方」で歌い継がれている。
【執筆者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。