1/3は中森明菜・チェッカーズで一躍売れっ子となった作曲家・芹澤廣明の誕生日【大人のMusic Calendar】

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1月3日は、作曲家芹澤廣明の誕生日。1948年の神奈川県横浜市生まれで、今年で69歳を迎える。

芹澤は高校時代からバンド活動をはじめ、麻生京子とブルーファイアのギタリストだった幼馴染の清須邦義らとともに、グループ・サウンズ「ザ・バロン」を結成する。ザ・バロンはGSといっても基本は尾藤イサオのバック・バンドとしての活動がほとんどで、尾藤と離れた1969年6月、所属していた大橋プロダクション(ブルー・コメッツらが所属)の意向で、新人歌手の鍵山珠里と組んで、ジュリーとバロンの名で「ブルー・ロンサム・ドリーム」でデビューする。ちなみにこの曲は阿木燿子=宇崎竜童の詞曲だが、これが2人の作家デビュー作だった。この時期は河内広明を名乗っている。

レコード・デビューしてから1週間ぐらいでメイン・ヴォーカルの鍵山珠里が失踪してしまったそうで、バロンはその後、メンバー全員がNHKの音楽番組『ステージ101』のオーディションに合格、初期メンバーとして活躍する。同番組在籍中の1970年11月、バロンは単独で「恋の億万長者/コンドルは飛んでいく」のシングルを発表している。
番組内では、バロンのメンバーだった若子内悦郎と「ワカとヒロ」を結成し、恩師である東海林修のもとで活動、東芝エキスプレス・レーベルから数枚のシングルとアルバムを発表しているが、75年に解散した。

解散後は惣領泰則らのユニット「ジム・ロック・シンガーズ」に参加。さらにビクターのインビテーション・レーベルからソロ作『Changes』(78年)『ジャパニーズ・センチメンタル』(79年)と2枚のアルバムを発表。この時期に河内広明から現在の名前に戻している。ことに『Changes』で聴ける芹澤の硬質なヴォーカル、GSをベースにしながらも、もう少し前の時代のオールド・ロックンロールをソング・ライティングの中心に据えていることは、のちの売れっ子作曲家・芹澤廣明の萌芽を感じさせるものがある。

少女A,中森明菜

その後、作曲家に転身した芹澤を一躍有名にしたのが、82年7月28日にリリースされた中森明菜の2作目のシングル「少女A」だ。作詞の売野雅勇とともにこれが初ヒットとなるが、ビートの利いたスピード感のあるロックンロールをベースに、「じれったい じれったい」部分のキャッチーなリフの効果も抜群で、オリコン・チャートのトップ10に入るヒットを記録する。

売野=芹澤のコンビは一躍売れっ子作家チームとなり、続いてその名を知らしめたのが、チェッカーズの一連のヒット曲である。83年9月21日リリースのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」は康珍化の作詞であったが、2作目の「涙のリクエスト」以降、11作目の「Song for U.S.A」まで1作を除きすべて売野=芹澤コンビが担当、チェッカーズの第1期を支え、芹澤は実質的なサウンド・プロデューサーとしても活躍した。「NaNa」以降、彼らとは袂を分かつた芹澤だが、そのラスト作「Song for U.S.A」はスケールの大きな圧巻のロッカ・バラードで、あらためてメロディー・メーカーとしての芹澤を堪能できる傑作といえよう。

ギザギザハートの子守唄,涙のリクエスト

「涙のリクエスト」にみるオールディーズ・スタイルのロックンロール、「星屑のステージ」の3連ロッカ・バラード、映画『ウエストサイド物語』をイメージさせる「俺たちのロカビリー・ナイト」と、チェッカーズの一連の楽曲は、芹澤の音楽性のベースにある不良とロックンロールが色濃く投影されており、シンプルだがスピード感があり覚えやすい曲調は、ことにマイナーの8ビートに哀愁味を加えたアップ・テンポのナンバーにその特徴が強く見られる。時代的にも横浜銀蝿、シャネルズらの活躍にみられる、フィフティーズ・ロックンロール回帰のムードがあったことも、芹澤ナンバーのヒットの追い風になった。

明菜~チェッカーズのヒットによって、他のアーティストからも楽曲依頼が殺到。ポスト明菜的なイメージで売り出された桑田靖子の「脱・プラトニック」や、岩崎良美の「タッチ」「愛がひとりぼっち」、堀ちえみ「東京SUGAR TOWN」などのヒットを生んだ。ことに岩崎良美とはアニメ『タッチ』の主題歌・挿入歌で数多く組んだほか、同番組の音楽も担当、さらに同じあだち充原作のアニメ『ナイン』『陽あたり良好!』の音楽にも関わっている。

TOUCH,岩崎良美

フィフティーズ、ロカビリーを自身の音楽ベースとしながらも、『ヤング101』出演で幅広い音楽性を培ったとみられる芹澤は、シンプルなロックンロールにひと味、別の要素を加えることで独自の音を聴かせ、80年代にその才能が開花したといっていいだろう。そういった代表的なナンバーに、84年の三原順子「じゃじゃ馬ならし」がある。ロックンロールにスパニッシュ的なエキゾチック・ムードを加えたこの曲は、元々芹澤自身のアルバムに収録されていたナンバーで、三原と同時期に中村晃子もカヴァーしている。3人のヴォーカリストの解釈の違いがはっきりしていて面白い。

Million-Tears,HIROAKI-SERIZAWA

【執筆者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。

ミュージックカレンダー,ニッポン放送,しゃベル

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