日本のロックとポップスが、さまざまな意味で「豊饒さ」を示し始めた1975年の2月20日、荒井(松任谷)由実の5作目となるシングル「ルージュの伝言」(C/W「何もきかないで」)がリリースされた。
荒井由実がシングルでのNo.1ヒットを初めて記録したのは、TBS系ドラマ『家庭の秘密』の主題歌となった次作「あの日にかえりたい」(75年10月5日発売)だが、本作は若きユーミンのほとばしる才能を印象づけた、ブレーク前夜の名曲として知られる。シングル・チャートの最高位は45位だが、この時点でリリース済みだった二枚のアルバム『ひこうき雲』(73年11月)と『ミスリム』(74年10月)はアルバム・チャート10位以内まで上昇しており(それぞれ9位と8位)、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆から成るティン・パン・アレー(当初はキャラメル・ママ)のサウンド・プロデュースにも助けられて、ユーミンこと荒井由実は、すでに「ニューミュージック時代」を先導する女性アーティストとして注目を集めていた。
が、初めて本作を聴いたときはびっくりした。ハリウッド青春映画ばりの場面設定、当時スタートしたばかりのナイアガラ・レーベルにも通ずるアメリカン・ポップス指向のウキウキするようなサウンド。それまで荒井由実といえば、「ひこうき雲」「魔法の鏡」といった、メランコリックなヨーロッパ指向の楽曲や「ベルベット・イースター」「12月の雨」といった、モノクロームな印象の楽曲に際だつ個性があったから、まさかアメリカ指向の「総天然色」路線が前面に出てくるとは思いもよらなかった。
荒井由実が豊かな才能の持ち主であることは、当時の「ニューミュージック」シーンをフォローする者なら誰でも知っていたが、「少女の面影を残した女性シンガー&ソング・ライター」といったイメージを覆した本作は、彼女が、同時代の想像力をはるかに超えた、桁外れの「アーティスト」であることを世に知らしめた作品だったといえるだろう。
本人の手による詞曲の完成度もきわめて高いが、本作が評価される理由の一つは、楽曲の輪郭を際立たせているコーラス・ワークにある。担当は、ナイアガラ・レーベルからのデビューが決まっていたシュガー・ベイブの山下達郎と大貫妙子、荒井由実と同じくティン・パン・アレーにサポートされる音楽活動を展開していた吉田美奈子、そして定評あるコーラス・グループ〝シンガーズ・スリー〟の伊集加代子の4人だ。
山下達郎が後年語ったところによれば、最初はB面の「何もきかないで」がA面になる予定だったがコーラス・ワークの出来映えがあまりにも素晴らしかったので、最終段階でA・B両面が差し替えられたのだという。辣腕プロデューサー・村井邦彦の見事な手さばきである。
興味深いことに、この曲のレコーディング・セッションに参加したバック・ミュージシャンは『ひこうき雲』や『ミスリム』で時代の先端を行く音づくりに成功したティン・パン・アレーではなく、当時の荒井由実のライヴ活動を支えていたバンド、ダディ・オー!だった。ティン・パン・アレーよりワイルドだが、ロックンロール指向の味わい深い仕上がりになっている。メンバーは、平野融(ベース)、大野久雄(ギター)、平野肇(ドラムス) 吉原真紀子(キーボード)の4人。もともとは学生バンドで「パパレモン」と名乗っていたが、細野晴臣の発案により「ダディ・オー!」に改称したという。
平野肇によれば、ダディ・オー!を起用したセッションで「ルージュの伝言」を含む4〜5曲分の録音が行われたという。いずれも『コバルト・アワー』に収録される予定で録音されたが、村井邦彦の「演奏がライブっぽい」との判断でティン・パン・アレーがあらためて起用され、録(と)り直しされたという(参考:平野肇『僕の音楽物語 1972-2011 名もなきミュージシャンの手帳が語る日本ポップス興亡史』2011年・祥伝社)。75年6月20日にリリースされた『コバルト・アワー』にはティン・パン・アレーの面々だけがクレジットされ、ダディ・オー!はノー・クレジットだが、「ルージュの伝言」と「何もきかないで」は、ダディ・オー!による録音である(シングルと同一バージョン)。ボツになったダディ・オー!による録音もいつか聴いてみたいものだ。
なお、1976年3月14日にTBS系で放映された久世光彦演出の音楽特番『セブンスターショー』(日本専売公社提供)でかまやつひろしと荒井由実&ティン・パン・アレーが共演し、終盤でティン・パン・アレー版の「ルージュの伝言」が披露されている。なぜかこの曲に限って、細野晴臣=ドラムス、鈴木茂=ベース、林立夫=ギターという変則的な編成となっているが、これが天才的な演出家だった久世光彦のディレクションによるものか、ティン・パン・アレー自身によるサプライズだったのかは不明である。いずれにせよ、ユーミン・ファン、ティンパン・ファン、細野ファンにとっては「必見」の動画であり(久世の演出力にも脱帽すること間違いなし)、ネットで拾って「最良だったあの時代」をぜひ満喫してもらいたい。
荒井由実は、本作から8か月後にリリースされた「あの日にかえりたい」で押しも押されもしないポップスターの座を射止め、その後日本のポップス・シーンを席巻することになるが、彼女にとってひとつの転換点となった本作の意義はきわめて大きい。
【執筆者】篠原章:批評.COM主宰・評論家。1956年生まれ。主著に『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)、主な共著書に『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)など。沖縄の社会と文化に関する著作も多い。