ダニエル・ブーンというと、アメリカ人にとっては胸躍るような響きを持った、特別な名前である。アメリカが独立したのは1776年7月4日のことだが、彼はその少し前からアメリカの辺境に足を踏み入れていった開拓者で、鉄砲の名手。一説にはケンタッキーの発見者とも言われ、ネイティヴ・アメリカンに囚われたものの、勇猛に脱出してきたことで名前をあげたそうだ。何かにつけてエルヴィス・プレスリーとは好対照だったスーパースター、パット・ブーンの先祖ということでもアメリカ以外のポップス・ファンにも知られている存在だ。
ただ、同じダニエル・ブーンでも今回の主人公は、そんな辺境開拓者ではなく、イギリス出身のポップなシンガー・ソングライターである。1942年7月31日、英・バーミンガムの生まれ。本名はダニエル・ブーンとはまったく結びつかないピーター・リー・スターリングという。7歳からピアノを始め、13歳の時にギターをマスター。50年代末からビーチ・カマーズを始めとするロック・バンドで活動を始め、一時期、トム・ジョーンズらのバックを務めていたこともあるそうだ。
そんな彼が最初に認められたのはソングライターとしてで、マージービートの「アイ・シンク・オブ・ユー」(64年/英・第5位)と「ドント・ターン・アラウンド」(64年/英・第13位)、ケイシー・カービーの「アイ・ビロング」(65年/英・第36位)がヒット。「アイ・ビロング」はヨーロッパの音楽界で権威のあるユーロヴィション・ソング・コンテストで第2位に選ばれている。71年には「行かないで!パパ」(英・第17位)で歌手デビュー。翌72年に今回の「ビューティフル・サンデー」で認められるのである。
当初は「すてきなサンデー」という邦題(バスターの作品とは同名異曲)で発表された、この「ビューティフル・サンデー」、本国イギリスでは72年春に第21位、アメリカでは72年秋に第15位を記録するスマッシュ・ヒットになったが、我が日本ではまったくのノン・ヒット。それが60年代から朝の7時20分に力を入れていたTBSテレビが76年当時放送していた「おはよう720」の中のひとつのコーナーで使用したところ、大評判となり、ついには同年3月22日に日本の音楽業界誌、オリジナル・コンフィデンス(通称:オリコン)で第1位を獲得。洋楽曲ではニュー・シーカーズの「愛するハーモニー」(72年)以来のことで、合計15週間もその座をキープすることになる。素敵な人と出会い、愛されることで素晴らしい一日になると歌うラヴ・ソングで、我が国では田中星児やトランザムなどの日本語ヴァージョンでもヒット。マニアックなファンは演歌の巨星、都はるみのカヴァー・ヴァージョンもチェックしておきたい。
【執筆者】東ひさゆき(あずま・ひさゆき):1953年4月14日、神奈川県鎌倉市生まれ。法政大学経済学部卒。音楽雑誌「ミュージック・ライフ」、「ジャム」などの編集記者を経て、81年よりフリーランスのライターに。おもな著書に「グラミー賞」(共同通信)など。