昨年2016年、夏の話題をさらった映画『シン・ゴジラ』(東宝、2016年7月29日公開、総監督:庵野秀明/監督:樋口真嗣)。今年3月に発表された「第40回日本アカデミー賞」では、作品賞、監督賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞の七冠を総なめにする快挙を達成し、本作が日本映画界に与えたインパクトがいかに大きかったかをあらためて思い知ることとなった。また、日本アカデミー賞音楽賞は逃したものの、「第58回輝く!日本レコード大賞」では特別賞を受賞するなど、サウンドトラック音楽も好評を博し、映画公開直後に発売された『シン・ゴジラ音楽集』(2016年7月30日発売)のセールスは、過去のあらゆる「ゴジラ」関連アルバムの中での最高売り上げを記録している。その音楽が、伊福部昭によるかつての東宝特撮映画からの大胆な引用と、鷺巣詩郎の新作音楽によるハイブリッド構造であったことに驚かされたのも記憶に新しいところだろう。これらの采配は、総監督である庵野秀明の強固な意志によって進められたという。
本日5月22日は、映画監督:庵野秀明の誕生日である。
『シン・ゴジラ』音楽における「大胆な引用」は、伊福部サウンドだけに留まらない。本編中に突然、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の耳慣れたBGM音楽が響いたことに度肝を抜かれた方も多いのではないだろうか。力強いティンパニのリズムが印象的なあの曲は、テレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)時には「E-1」と呼ばれ、サントラ盤では「DECISIVE BATTLE」と名付けられている。また、後に映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007)に転用された際には「EM20」とリネームされている。多くの知恵や技術を結集して難局に挑む……といった作戦会議や作戦準備シーンにおいて多用されたこの曲が、『シン・ゴジラ』においても同様のシチュエーションを支える楽曲として選ばれたのだ。同じ庵野監督作品、同じ鷺巣詩郎楽曲とはいえ、アニメと実写の壁、制作会社の壁、権利・許諾の壁といった常識を前に引用を尻込みしてしまうのが通常だろう。しかし、そこを押し通す意思の強さこそが「庵野監督らしさ」であり、庵野作品が人を惹き付けてやまない魅力の根幹でもある。作曲者である鷺巣自身も、「あえてこの音楽をぶつけてくるのが、名人将棋のごとく庵野総監督の大局観。定跡にして、じつに明快な一手ではないか。(CD『シン・ゴジラ音楽集』各曲解説より)」と感じ入る。しかし、振り返ってみれば、庵野秀明×鷺巣詩郎の音楽世界には、常識すら軽く飛び越えてしまう、こうした豪胆な采配が満ち満ちているのだ。彼らの創りあげるサウンドトラックは“越境”上等。『シン・ゴジラ』に始まったことではないのだ。
テレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の時に、既に数多くのクラシックの名曲が劇中使用されていたのは誰もが知るところだろう。ベートーヴェンの交響曲第九番を、「年末の風物詩」としてではなく、第弐拾四話「最後のシ者」のクライマックスを飾った「あの曲」として認知している世代も少なくない。そもそも、毎回のエンディングテーマとして流れていた「FLY ME TO THE MOON」からして、1954年に産まれたジャズのスタンダード・ナンバーの様々なアレンジであったことも忘れてはならないだろう。さらに映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009)では、テレビアニメ『彼氏彼女の事情』(1998)の音楽が、映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012)では、テレビアニメ『ふしぎの海のナディア』(1990)の音楽が転用されている。これらは同じ庵野×鷺巣作品であるため、ある意味、想定の範囲内ではある。しかし『新劇場版:破』では、沢田研二主演映画『太陽を盗んだ男』(キティ・フィルム、1979)における井上尭之作曲のBGM音楽「YAMASHITA」すらも、許諾を得て劇中に引用するという離れ業を演じてみせている。これなどは、もはや予測不可能。『シン・ゴジラ』における伊福部サウンド然り、自作のみならず、インスピレーションを受けた過去のあらゆる音楽が庵野監督作品から飛び出してくる可能性があるとすれば、こんな空恐ろしいことはない。また、これらの転用音楽に関しては、過去のBGMマスター等の「音源の流用」は一切なく、オリジナルを再検証して忠実に再現した「完コピ」か、再アレンジを加えたもの。いずれにしても「新演奏・新録音」であることも忘れてはならないだろう。その精密を極める作業を可能にしているのが、鷺巣詩郎の音楽製作姿勢と技術だ。鷺巣自身も、「譜面上の再現だけなら自筆スコアに遡れば済むが、演奏と音響の完コピはやっかいだ。(CD『シン・ゴジラ音楽集』各曲解説より)」と、その作業が一筋縄ではいかないことを漏らしている。
そして、これら庵野×鷺巣音楽を一堂に集め、爆発させたかのようなコンサート、『シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽』が、2017年3月22~23日に東京渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて開催された。大半の聴衆は「エヴァンゲリオン・コーナー」と「シン・ゴジラ・コーナー」とが整理された曲順構成を想像していたが、これもやはり小気味良く裏切られた。エヴァ音楽とゴジラ音楽が無作為抽出的に混然一体となって次々と現れ、それでいて一定の色調・圧力に音が統一され、「つなぎ」に違和感が全く無いという意表を突く展開に、聴衆はあっと言う間に圧倒されていった。ゴジラによる熱焔の放出によって東京都心部が壊滅へと至るシーンに付けられた、哀しいまでに美しい曲「Who will know /悲劇」。エレゲイア(死を哀悼する古代ギリシャ演劇詩)から着想を得たと鷺巣が語る、この『シン・ゴジラ』におけるハイライトを支えた至高の一曲を、テレビシリーズ『新世紀エヴァンリオン』の主題歌「残酷な天使のテーゼ」を歌った高橋洋子が歌唱するという驚きの、そして「越境」の興奮を象徴するような一幕もあった。さらにそこに『新劇場版:破』『新劇場版:Q』BGMの体をとった『彼氏彼女の事情』『ふしぎの海のナディア』音楽までもが混ざりあうという、実質的には庵野・鷺巣作品音楽のオールスターキャスト大集合のような、前代未聞の体験が提供されたのだ。この日が庵野×鷺巣の音楽世界にとって、一つの到達点となったことは間違いないだろう。
庵野秀明が鷺巣詩郎と共に築き上げてきた音楽世界が、細胞レベル、遺伝子レベルで融合を果たしたかのような壮絶なコンサートを経て、『シン・ゴジラ』を巡る喧噪も終息し、いよいよ二人にとっての次回作『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の制作が始まっていく。常識を破り、「越境」を続ける庵野秀明×鷺巣詩郎の豪胆な共犯関係に、今後も大いに期待したい。
【執筆者】不破了三(ふわ・りょうぞう):音楽ライター 、 CD企画・構成、音楽家インタビュー 、エレベーター奏法継承指弾きベーシスト。CD『水木一郎 レア・グルーヴ・トラックス』(日本コロムビア)選曲原案およびインタビューを担当。