1991年の本日、一世を風靡したディスコ、ジュリアナ東京が開店

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大ブーム。

5月15日は、1990年代に話題を集めたディスコ「ジュリアナ東京」がオープンした日だ。ジュリアナ東京は、1991年5月15日から1994年8月31日まで芝浦に存在した。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が1978年7月に日本公開以降、日本でもいわゆるディスコが誰でも足を運ぶような一般的存在になるが、同映画がある意味でディスコ・ブームのピークを打った形となり、1980年代になると少しディスコの波も低調になっていた。

そんな中1980年代中期からいわゆる「ユーロビート」と呼ばれるヨーロッパ産のディスコ・ミュージックがヒット、ディスコ人気も再燃、そうした曲が洋楽シーンでも大きな位置を占めるようになった。

ジュリアナ東京は、まさにそうしたユーロビートの大ブームの中で開店し、一世を風靡した。

そのジュリアナ東京には「ワンレン」(ワンレングス)、「ボディコン」(ボディ・コンシャス)の女性が大挙押し寄せ、そこにあるお立ち台で、ジュリ扇と呼ばれる扇子を振り回す様が、雑誌、テレビなどでも紹介されて、大きな話題になった。

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ユーロビート。

それまでのディスコのほとんどは、バーやスナックなどの飲食業を営んでいた会社が、その延長線上で店を出したり、踊り好きな者がディスコを作ったりしていたが、なんとこのジュリアナ東京は総合商社の日商岩井が、イギリスのレジャー企業であるウェンブリー社と手を組み、「イギリスからの本格的ディスコ」と銘を打って世に送り出した。

音楽的には、当初はユーロビート的なサウンドが多く、オール・ジャンルだったが、DJのジョン・ロビンソンが選ぶ好みが反映するようになった。全体的にはテクノ的、ハードコアなテクノ、レイヴ的サウンドがかかり、そこにユーロビート的なものがうまくミックスされた。

1980年代中期以降のヨーロッパ産のディスコ・ミュージックは、1985年のアンジー・ゴールドの「イート・ユー・アップ」を日本人シンガー、荻野目洋子が日本語詞をつけて「ダンシング・ヒーロー」としてカヴァー、ヒットさせて以降、大ブームとなった。そしてその荻野目を売り出すことに成功した事務所(ライジングプロダクション)は、その流れに乗って、安室奈美恵、マックス(MAX)、スピードら、歌って踊れるアーティストを続々と輩出。特に安室は小室哲哉が作り出すユーロビートを基調としたダンサブルなサウンドで大ブレイク。さらにその流れは現在の三浦大知まで続く。

特に初期のユーロビートは、メロディアスなところと、リズム・パターンがひじょうにシンプルでわかりやすく踊り易いためにリズム感が優れない人でも親しめたために日本でも大きな人気となった。

また、「ダンシング・ヒーロー」に関しては、なんと2000年代に入ってから、日本各地のお盆のときに神社などでこれがかかり、お盆の踊りとディスコ・ダンスが融合して支持を集めることも起こっている。

言ってみれば、ディスコ→ユーロビート→(ジュリアナなどのディスコ)→ダンス全般という流れはひとつ確かにあるようにも思える。

またジュリアナ東京は営業期間が3年強という比較的短いものだったが、東京のナイト・カルチャー・シーンに相当大きなインパクトを与え、日本のディスコ史に1ページを残したことは間違いない。

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荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】吉岡正晴(よしおか・まさはる):音楽ジャーナリスト、DJ。ソウル・ミュージックの情報を発信しているウェッブ『ソウル・サーチン』、同名イヴェント運営。1970年代には六本木「エンバシー」などでDJ。ディスコ、ブラック・ミュージック全般に詳しい。ラジオ番組出演、構成選曲、雑誌・新聞などに寄稿。翻訳本に『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著)、『マイケル・ジャクソン全記録』など。自著『ソウル・サーチン R&Bの心を求めて』など。、毎月第一木曜夜10時『ナイト・サーチン』(ミュージックバード)を生放送中。最新情報は、ツイッター、<https://twitter.com/soulsearcher216>で。

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