1972年7月24日、ビリー・バンバン「さよならをするために」がオリコン1位を獲得

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ビリー・バンバンの「さよならをするために」は、1972年(昭和47年)の7月24日に、オリコン週間シングル・チャートで第1位を獲得した。発売されたのはその半年ほど前だったのだが、ラジオの番組などでも話題となり徐々に売り上げを伸ばし、累積で80万枚を超える大ヒットとなった。

菅原孝と進の兄弟デュオ、ビリー・バンバンが「白いブランコ」でデビューしたのは1969年(昭和44年)のこと。弟の進が学生時代から組んでいたフォーク・バンドが母体となり結成されたのだが、デビュー直前まで、中野光雄(後のせんだみつお)が在籍していたのは有名な話。

60年代の後半といえば、カレッジ・フォークのブームがあり、アマチュア出身であった森山良子、マイク眞木、フォー・セインツなどが世に出ていった時代でもある。フォーク・ギターとウッド・ベースのデュオというスタイルは、このカレッジ・フォーク時代からずっと続いている。

フォーク系でありながらも、ボサノバのビートをバックにスキャットを歌い、そこにフランス語のナレーションを重ねた「ミドリーヌ」を発表したり、兄弟で共作した「白い風とすずらん」を歌ったり、音楽性が幅広く、そこに兄弟ならではの繊細なハーモニーを乗せるという、独特のスタイルを持っていた。

「さよならをするために」は、浅丘ルリ子や石坂浩二、原田芳雄ら出演した日本テレビ系のドラマ「3丁目4番地」の主題歌。その後のトレンディ・ドラマにも通じる豪華な配役の人気番組であった。作詞はドラマに出演していた石坂浩二で、作曲は西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」や、杉田かおるの「鳥の詩」などを手掛けた坂田晃一が担当。坂田は他にも、フォー・クローバース「冬物語」やダ・カーポ「突然の微笑が」などを作曲しており、フォーク系に強いソングライターであった。

当時、自作自演志向の強かった菅原兄弟は、職業作曲家の曲に抵抗を示したというが、出来上がった作品はしっかりとビリー・バンバンの色が付いている。弦楽四重奏曲風のイントロダクションで始まり、ノーブルな歌声で継いでいくというスタイルは、まさにビリー・バンバンならではのもの。この大ヒットにより、彼らは同年のNHK紅白歌合戦に出場を果たしている。

ビリー・バンバン「白いブランコ」「ミドリーヌ」「さよならをするために」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】小川真一(おがわ・しんいち):音楽評論家。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ギター・マガジン、アコースティック・ギター・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』、『三浦光紀の仕事』など CDのライナーノーツ、監修、共著など多数あり。


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