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1973年9月27日、西城秀樹のシングル6作目にあたる「ちぎれた愛」がオリコン・シングル・チャートの1位に輝いた(9月24日~10月5日まで)。西城にとっては初のオリコン1位獲得曲である。
郷ひろみ、野口五郎とともに“新御三家“として70年代に絶大な人気を博した西城秀樹だが、デビュー以来郷、野口にセールス面でやや遅れを取っていた西城は、前作「情熱の嵐」で初のベストテン入りを果たし、この「ちぎれた愛」であっという間に他の2人を抜き去って、新御三家で初のチャート1位を獲得したのである。同年10月15日まで1位をキープし、文字通りの大ブレイクを果たした楽曲となった。
のちのちまで「絶唱型」と呼ばれる西城の歌唱法は、この曲が最初である。郷、野口に比べキャラクター面でも突出したところがなかった西城だが、前作「情熱の嵐」の際、スタッフ陣が「秀樹は情熱的でセクシーな男性路線で行く」と方向性を決めたそうで、それが見事にはまったのが「ちぎれた愛」の絶唱型スタイルであった。作詞は初起用の安井かずみ、作曲は3作目「チャンスは一度」から編曲を手掛けてきた馬飼野康二が作曲でも初めて起用されることになった。
安井かずみについて西城は「憧れのおしゃれなお姉さん」というイメージを抱いており、彼女の起用にいたく感激した、と述懐していた。そのストレートでなりふり構わぬ熱愛の表現は、若さゆえの激しさと勢いに満ち、「我慢できない感情の暴走」そのものといえる。シチュエーションを一切描かず、ただただそこには少年期ならではの愛の表現が描かれているのだ。これに対応する馬飼野康二の曲調もまた、スローに始まりすぐにアップテンポに変化、2番で再びスロー、というドラマチックな構成が素晴らしい。3度目のスロー部分でセリフが入り「好きだ、好きだ、好きなんだよー!」と絶叫する様は、もう「激愛」とでも表現するしかない。これは野口五郎にも郷ひろみにも、あるいは沢田研二にもない、西城秀樹ならではの世界である。この絶唱型は次作「愛の十字架」でより顕著になり、オールディーズ・スタイルのロックンロール「薔薇の鎖」やブラス・ロック歌謡「激しい恋」を経て、74年の「傷だらけのローラ」で1つの完成をみる。こういったヴォーカル・スタイルはそれまでの歌謡曲にはなかったものであり、小学生の頃からジャニス・ジョプリン、シカゴ、レッド・ツェッペリンなどの洋楽ロックに親しみ、アマチュア・バンドの小学生ドラマーとして活動していた西城ならではの、ロックのビート感覚を自然に体現でき、歌謡曲に落とし込めるヴォーカル・スタイルあってこそ成し得たものである。この時代はあくまで歌謡曲の範疇でその斬新さをもって人々に衝撃を与えたが、時がたち現在では、日本のロック・ヴォーカリストの源流の1つとまで言われるようになった。西城秀樹のヴォーカル・スタイルが日本の音楽シーンに与えた計り知れない影響の、その第1歩がこの「ちぎれた愛」の歌唱スタイルなのである。
その西城と70年代を並走し、ロックのビート感覚やスケール感を歌謡曲に持ち込むことに大きく貢献したのが作曲の馬飼野康二だ。
70年代の西城秀樹を語る上で欠かせない作曲家は3人いる。初期の世界観を構築した鈴木邦彦、中期の青年に成長していく時期に起用された三木たかし、そして初期から編曲で参加し、この「ちぎれた愛」から78年の名作「ブルースカイブルー」まで断続的に起用されてきた馬飼野康二である。
馬飼野康二はもともとムードコーラスからグループサウンズに転向した「ブルーシャルム」のメンバーで、馬飼野睦の名でキーボードを担当していた。70年の解散後は、作編曲家に転向。西城の「チャンスは一度」を皮切りに数多くの作曲、アレンジを手掛けるが、当時の西城のディレクターであったロビー和田に重用され、和田アキ子「古い日記」や松崎しげる「愛のメモリー」など幾多の傑作を世に送り出し、その後はブルーシャルム時代の盟友、春城伸彦(ドラムス担当)こと小杉理宇造がRCAに入社し、ロビーのアシスタント・ディレクターとなり、ここでジャニーズ事務所の少年2人組、リトル・ギャングのデビューをロビー=小杉が担当することになり、馬飼野康二が作編曲を担当。これが現在まで続く馬飼野のジャニーズ事務所仕事の原点である。この通り、馬飼野康二の作風である「下世話なくらい派手で盛りまくるアレンジ」と「ヨーロピアンスタイルで、大げさなほどドラマチックな楽曲」はいずれも70年代の西城秀樹の仕事が原点にあることがわかるだろう。前者は「激しい恋」や「恋の暴走」「炎」など、後者は「傷だらけのローラ」「至上の愛」そして、スケール感という意味では最大級であろう「ブルースカイブルー」がある。
安井かずみ=馬飼野康二の力を得て、チャート1位の大ヒットを飛ばした西城だが、不思議なことにこの年のNHK『紅白歌合戦』には選出されなかった。諸事情あったのだろうが、あまりの急激な人気の上昇と、規格外のダイナミックな歌唱スタイルやスケール感に、『紅白』の選考委員の認識が追いつけなかったのでは? とも言われている。何しろ「ちぎれた愛」は前作からセールスも倍以上に伸びレコードプレスが間に合わず、当時の雑誌記事には「発売後10日で50万枚をプレスした」と記載されているのだから。何から何まで型破りな、ヒデキの大ブレイクを象徴する出来事であった。『紅白』出場は翌年まで持ち越しとなったものの、同年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞、この時まだ18歳である。
西城秀樹「情熱の嵐」「ちぎれた愛」「愛の十字架」「傷だらけのローラ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)がある。