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2019年1月4日に日本公開となった映画『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』は、ホイットニー・ヒューストン財団が公認したドキュメンタリーでホームビデオなどのプライベートな映像や未発表音源といった貴重な素材を用い、ホイットニー・ヒューストンの知己および関係者らによる様々な証言を交えて構成されている。第72回アカデミー長編ドキュメンタリー部門を受けた『ブラック・セプテンバー 五輪テロの真実』のケヴィン・マクドナルドが監督を務めているところからも、その切り口がうかがえるであろうか。駆け上がった栄光の座から脆くも崩れ落ちた歴史的スターの生涯が描かれている。ここ日本では映画『ボディガード』主演にして主題曲「オールウェイズ・ラヴ・ユー」を大ヒットさせた女性シンガーという認識(邦題サブタイトル的にその曲名が添えられているのもそれゆえか<原題はシンプルに『WHITNEY』>)が何よりも強いであろうホイットニー・ヒューストンに対して、それまでとは異なる気持ちを抱く機会になったかもしれない。
1963年8月9日にアメリカはニュージャージーに生まれたホイットニーは、ゴスペル音楽の名歌手としても知られたシシィ・ヒューストンを母に、名だたるポップ・シンガー=ディオンヌ・ワーウィックを従姉妹に持ち、11歳から聖歌隊の先頭で歌うなど幼いころから音楽に親しんだ。娘の歌い手としての破格の資質を信じたシシィは、その美貌を活かしたファッション・モデルやセッション・ヴォーカリスト/バック・シンガーなどの仕事をさせながらじっくりと機会をうかがい、しっかりと表現力を育む。そうした方針が功を奏し、85年の本格的デビューとほぼ同時にヒットを連発し、第1作『そよ風の贈りもの』は3曲もの全米No.1を生み今日までアメリカで実に1,300万枚の売り上げを記録する、史上稀に見る成功を収めた。さらに87年の第2作『ホイットニー II』は、女性アーティストとして史上初めて全米アルバム・チャートにNo.1で初登場する偉業を成し遂げ、ここからも4曲のシングルが第1位に輝いた。連続7曲が全米王座につくのは、ビー・ジーズがサウンドトラック『サタデイ・ナイト・フィーバー』と『失われた愛の世界』から放った6曲連続を上回る大記録であった。その勢いは未来永劫輝き続ける巨大な新星=スーパー・ノヴァの出現を思わせるほどの凄まじさだったのを、今でも憶えている。ここ日本においてもTVドラマ『八月のラブソング』の主題歌に用いられた「オール・アット・ワンス」が独自にシングル展開されるなど、着実に洋楽スターとしての地位を築く。
第3作『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』(90年)で、破竹の進撃はやや落ち着きを見せたものの、女優として92年の映画『ボディガード』でケヴィン・コスナーとの共演を果たし、収録曲の多くを彼女が占めたサウンドトラックもまた、全米1,300万枚を含む世界総計4,500万枚を越すセールスを上げる。さらに、ここからの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」は、エルヴィス・プレスリーの「冷たくしないで/ハウンド・ドッグ」(56年)の13週を破り、55年以降のロック時代において最長(当時)となる14週の全米No.1を記録してホイットニー・ヒューストンの名をポップ史に刻み込んだ。
キッズR&Bポップ・グループ=ニュー・エディションから独立してソロで大活躍していたボビー・ブラウンと結婚したホイットニーは、93年には女児ボビー・クリスティーナをもうける。『ボディガード』ほどのメガ・ヒットとはならなかったものの、彼女にとってとても有意義な挑戦と呼べる『ため息つかせて』(95年)『天使の贈り物』(96年)といった映画出演を続け、演技と歌唱とを大きな柱としてキャリアを紡いでいくヴィジョンはとても魅力的なものだった。98年の『マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ』では、よりソウル・ミュージックのルーツを感じさせるヴォーカルとサウンドを聴かせた。その一方で、一時ほどの人気を保てなくなっていた夫ボビー・ブラウンのアルコールや薬物依存、彼からの家庭内暴力などが報道され、ホイットニー自身もドラッグ禍に悩まされては療養施設に入るような状況となる。ひどく傷つけ合い、ふたりは06年に離婚する。ホイットニーは、09年のアルバム『アイ・ルック・トゥ・ユー』で再起を果たすものの、さらに大きな成果となるはずだった映画『ホイットニー・ヒューストン/スパークル』(12年)の公開を待たず突然世を去る。彼女を栄光の世界へと導いた恩師とも呼べる音楽業界の大立者クライヴ・デイヴィスが主催するグラミー賞前夜イヴェントに出席するため、訪れたロサンゼルスにて滞在したビバリーヒルトン・ホテルの浴室で発見され死亡が確認された。検死結果では薬物依存の影響で起きた心臓発作のため倒れ、溺死したとされる。2012年2月11日。享年48。もしも、を夢想する。常人では堪え難い困難の数々を乗り越え、それらを糧にしかつて誰も描けなかった彼女ならではの歌唱表現を、ホイットニー・ヒューストンが成し遂げていたなら、と。叶わぬ想いではあるが。
映画『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』ではそれほど大きく扱われていない重要人物が、先述のクライヴ・デイヴィスである。ホイットニーとの関わりも描かれるデイヴィスの伝記ドキュメンタリー映像作品『CLIVE DAVIS:THE SOUNDTRACK OF OUR LIVES』(17年)もお薦めしたい。
『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』
© 2018 WH Films Ltd
配給:ポニーキャニオン/STAR CHANNEL MOVIES
全国公開中
【著者】矢口清治( やぐち・きよはる):ディスク・ジョッキー。1959年群馬生まれ。78年『全米トップ40』への出演をきっかけにラジオ業界入り。これまで『Music Today』、『GOOD MORNING YOKOHAMA』、『MUSIC GUMBO』、『ミュージック・プラザ』、『全米トップ40 THE 80'S』などを担当。またCD『僕たちの洋楽ヒット』の監修などを行なっている。