【大人のMusic Calendar】
本日7月15日はニッポン放送の開局した日である。今年で開局65周年を迎えた。今から48年前の開局記念日の日、僕は後楽園球場で行われるグランド・ファンク・レイルロードのライブへの準備に奔走していた。この日本初のスタジアム・ライブには司会者がついていて、糸居五郎さんが担当することになっていた。
日本の音楽シーンに洋楽のヘヴィ・ロックが本格的に定着したのは1971年のことではないだろうか。1ドル360円で海外旅行などまだ夢のような時代。ウッドストックやモンタレー・ポップ・フェスの話題が伝わってくるとともに、ほんとうの本物が次々にやってきたのが1971年という年だった。
当時の僕はニッポン放送に入社して間もない新米ディレクター。ある日、上司からキョードー東京の興行部長をやられていた上條さんという方を紹介された。初対面で“こんどウチの招聘、ニッポン放送の主催で海外ミュージシャンのロック・コンサートをシリーズでやることになった。PRをよろしく頼むよ”と言われ、もともと音楽番組を作りたくて入った会社で音楽の最前線にふれる仕事に参加できることが飛び上がるほど嬉しかったが、上條さんの仕事ぶりは厳しかった。
朝・昼・晩にチェックの電話が入り、“まだまだPRが足りない”“おまえ、きちんとやっているのか”とお叱りの声ばかり。まだFM局もなく、テレビの音楽番組も少なかった頃で、AMラジオの宣伝力は大きかった。自分のもっている番組だけでなく、告知原稿を用紙に書いて昼夜かまわずいろんな番組で告知してもらうように社内中を走り回っていたのを思い出す。大型コンサートのはしりのような頃で、いまのように即完などということはあり得ず、動員には大量の宣伝が何よりも必要だった。
“ロック・カーニバル”の名が付けられた第一回は70年12月、イギリスのギタリスト、ジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズ。60年代にエリック・クラプトンも在籍していた名グループであるが、このときは3人のメンバーでの来日だった。会場は有楽町の日劇ホール。年が明けて2月、売り出し中だった“ブラッド・スエット&ティアーズ(BS&T)”の武道館公演は凄かった。アンコールで興奮した客のひとりが2階から1階に飛び降りる姿が記録フィルムに残っている。
そのあとブルース・ギターの神様、B・Bキング(サンケイホール)に続いて4月のフリー(サンケイホール)、6月のシカゴ(武道館)と続き、7月にはまだ屋根がなかった後楽園球場でのグランド・ファンク・レイルロード、8月のピンク・フロイド(箱根芦ノ湖畔)、9月のレッド・ツェッペリン(武道館)、10月のエルトン・ジョン(渋谷公会堂、厚生年金ホール)でシリーズは終了した。これだけのバンドが、わずか1年のあいだにいずれも初来日しているのだから、いかに71年がエキサイティングな音楽年だったかがわかるし、そのあとエマーソン・レイク&パーマー(後楽園球場)やディープ・パープル(武道館)、サンタナ(武道館)がやってきた頃には、大型コンサートは当たり前のものになった。
ひとつひとつのステージが思い出深いものばかり。なかでも箱根アフロディーテのピンク・フロイドとともに、豪雨の中でおこなわれた最強ロック・トリオ、グランド・ファンク・レイルロードが印象深い。ニッポン放送が開局記念日で盛り上がっていたのが7月15日。その頃、日本に到着した彼らのライブは2日後の7月17日、後楽園球場で行われた。「霧の中の二人」がヒット中だったマシュマカーンが前座で、そのマシュマカーンの演奏が終盤にさしかかった頃、一陣の風がすーっと吹いて、2塁ベース後方あたりに設置された大きなステージの脇の看板がめくれ上がるとともに、外野席近くに設置してあった看板が吹っ飛んだ。
いやな予感がしたのもつかの間。いきなり雷が光り、ドーッと激しい雨が叩きつけ、通路があっという間に滝のよう。野外ライブに雨はつきものと言われて、その後も多くの雨中コンサートを経験したが、あれほどの豪雨の中で敢行されたのは思い当たらない。ずぶぬれになりながらも観客は、バンドの登場を信じて誰も動かない。シャワーを浴びるような状態が40分くらい続いたあと、司会の糸居五郎さんがびしょ濡れでステージに出てきて観客に呼びかけた。“皆さん、グランド・ファンク・レイルロードは必ず演奏すると言っています…”。このひと言で興奮はMAXに。そのあと3人のメンバーが登場して、豪雨の中でのステージは23時ちかくまで続けられた。
このライブには私的な後日談もある。この年の大晦日、今年のロック・イベントを振り返る特番を作って放送したとき、あの豪雨の夜を何とか再現できないものかと考えた。もちろん録音などはとっていない。そこで糸居さんにお願いして、あの日を思い出してもらい、スタジオで深いエコーとフィードバックをかけて“皆さん、グランド・ファンク・レイルロードは必ず演奏すると言っています…”。と同じように叫んでいただいた。グランド・ファンクには前年末にリリースされた素晴らしいライブ・アルバムがある。それに豪雨の音をいっぱいかぶせて「ハートブレイカー」を放送した。あの日、後楽園球場の観客席にいた方ならば、もう一度あの興奮に浸ることができるかもしれないと思いながら…。これもラジオならではのマジックである。
グランド・ファンク・レイルロード(後楽園球場)写真提供:佐藤晃彦 / JEFF SATO
ピンク・フロイド(箱根アフロディーテ)写真提供:ニッポン放送
【著者】岡崎正通(おかざき・まさみち):1946年東京生まれ。早稲田大学第一政経学部卒業。早大「モダンジャズ研究会」に所属し、学生ジャズ研連合による来日中のジョン・コルトレーンのインタビューにも携わる。68年、ニッポン放送入社。76年からオールナイト・ニッポンのチーフプロデューサー。ニッポン放送常務取締役を経て、現在ニッポン放送監査役。ジャズ研究家としても活躍する。