元THE BOOMのボーカリスト、宮沢和史さんが『島唄』の歌詞に秘めた「本当の思い」とは…?

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ニッポン放送「八木亜希子LOVE&MELODY」(毎週土曜日8時30分~10時50分)の番組スタッフが取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしている【東京新聞プレゼンツ10時のグッとストーリー】

1993年にシングルが発売され大ヒット。今や世界中で歌われるようになった『島唄』。沖縄を舞台にした男女のラブソングですが、曲を書いた元THE BOOMのボーカリスト、宮沢和史(みやざわ・かずふみ)さんは山梨県出身で、沖縄に特別ゆかりがあったわけではありません。ではなぜ、宮沢さんは沖縄をテーマにした曲を書こうと思ったのでしょうか?そして、歌詞に秘められた「本当の思い」とは……?

時代が昭和から平成へと変わった1989年、当時のバンドブームにも乗って、メジャーデビューを果たしたTHE BOOM。デビュー間もない頃、宮沢さんは沖縄に行った知人から、お土産として沖縄民謡が入ったカセットテープをもらいました。沖縄の楽器・三線(さんしん)の響きに魅せられて、夢中になった宮沢さん。「ぜひ、生の三線の音が聴きたい」と沖縄をたびたび訪れるようになりました。

何度も通ううち、宮沢さんは、県内のあちこちに戦争の爪痕が残っていることに気付きます。「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れた際、女子学生たちによる「ひめゆり学徒隊」でかろうじて生き残った語りべのおばあさんから、集団自決の話を聞かされた宮沢さんは大きな衝撃を受けました。

激しい地上戦で、当時の沖縄県民の4分の1にあたる、およそ12万人が亡くなったことなど、同じ日本人なのに、沖縄戦について何も知らなかった自分を恥じ、怒りさえ感じた、という宮沢さん。「沖縄戦を体験された方々に聴いてもらって、恥ずかしくない曲を作ろう」と決意しました。とはいえ、直接的な反戦の歌を書いても、聴いてもらえないだろう、と考えた宮沢さん。

表向きは、ウージの森=さとうきび畑で出逢った男女のラブソング、という形にして完成したのが『島唄』でした。実は、冒頭の歌詞「でいごの花が咲き 風を呼び嵐が来た」は、春に米軍が沖縄に上陸したことを指し、「ウージの下で 千代にさよなら」は、洞窟の中で二人が命を絶ったことを暗に意味しているのです。

最初は、アルバムの中の1曲として発表された『島唄』。ただ、書いてはみたものの、宮沢さんは「沖縄出身でもない自分がこの曲を歌って、本当にいいんだろうか?」というためらいがありました。しかし、背中を押してくれた人がいました。『ハイサイおじさん』『花』などのヒット曲で知られる沖縄の歌手・喜納昌吉(きな・しょうきち)さんです。

「魂までコピーすれば、それは真似じゃない。この歌は、魂をとらえている。どんどんやりなさい!」この言葉に勇気づけられた宮沢さんは、92年に歌詞の一部を沖縄方言にしたシングルを沖縄限定で発売。これが大きな反響を呼び、翌93年6月、標準語バージョンが全国発売され、大ヒットしました。

曲が売れたことで、地元の人たちや、沖縄民謡の歌い手からは反発の声も上がりました。「なんで、ヤマトンチューが“島唄”を歌うんだ?」「こんなのは“島唄”じゃない!」そういう批判が来ることは、宮沢さん自身もわかっていました。自分の沖縄への思いは、決して生半可なものじゃない……そのことを示すために、その後もずっと沖縄に関わり続けた宮沢さん。

2012年、「くるちの杜(もり)100年プロジェクト」を始めました。三線の棹(さお)の材料になる黒木(くるち)の木が枯渇してきたため、毎年植樹を行い、100年かけて育てていくプロジェクトです。また、後世に沖縄民謡を伝えていくために、宮沢さん自身が歌い手たちを訪ね歩き、4年がかりで民謡を録音。宮沢さんに反発していた大御所の歌い手たちも、次第に協力してくれるようになりました。

宮沢さんはクラウドファンディングを募って、245曲を収録したCDセットを製作。沖縄県内の図書館や学校など500ヵ所に寄贈しました。高齢化が進む歌い手の後継者を育てるためです。

宮沢さんは、沖縄の子どもたちを前にこう語りました。「県産の黒木(くるち)で作った三線の音が聴けるのは、みなさんの孫やひ孫くらいの世代でしょう。100年、200年後にくるちが育っていれば、その間、沖縄に平和が続いたということです。それをイメージしながら育ててほしい」

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