高度経済成長時代の真っ只中だった1960年代、お茶の間を席巻したゴールデンタイムがあった。
地域によって放映時間は異なったものの、キー局では、日曜の夜6時から『てなもんや三度笠』、6時30分からは『シャボン玉ホリデー』、8時からは『若い季節』、男の子がいる家であれば7時から『ウルトラQ』や『ウルトラマン』という、鉄壁のルーティーン。正にテレビ黄金時代の到来である。
その一角を担った『てなもんや三度笠』は大阪・朝日放送制作の公開コメディ番組として1962年5月6日にスタートした。
開始当初こそ視聴率はそれほど揮わなかったものの次第に人気を博し、関西地区で最高視聴率64.8%という驚異的な数字を記録する大ヒット番組へと成長を遂げたのであった。
番組を企画した、今も現役のプロデューサーである澤田隆治が文章に長け、著書も多いことから、番組に関する記録が極めて潤沢なのはテレビ史における大きな財産といえる。
氏の名著『私説コメディアン史』などにも当然『てなもんや三度笠』に関する記述は細やかである。
担当していたコメディ番組『びっくり捕物帳』に二枚目役で出演していた藤田まことの才能に着目し、名コンビの作家・香川登志緒と共に企画した『スチャラカ社員』にも藤田を起用。
そこでも持ち味を発揮して、コメディアンとして急成長を遂げる。
そこで満を持して主役の座が用意されたのが『てなもんや三度笠』だったのだ。
藤田演じる三下やくざ・あんかけの時次郎(=沓掛時次郎のパロディ)と、白木みのる演じる小坊主・珍念のコンビが江戸を目指しての珍道中。
旅先で様々な人や事件に遭遇しながら人生修業を重ねてゆく。
その二人に、駒下駄茂兵衛役の香山武彦(美空ひばりの弟)や、蛇口一角役の財津一郎が加わってのトリオや、まだ若手売り出し中だった横山やすし・西川きよしも68年に番組が終了するまでの最後の1クールでレギュラーを務めている。
準レギュラーとして鼠小僧次郎吉役の南利明、スリの姉御と子分役の京唄子・鳳啓助のほか、榎本健一からコント55号まで、東西の人気コメディアンたちが毎回ゲスト出演するのも大きな魅力であった。
島倉千代子、橋幸夫、都はるみ、ザ・ピーナッツに中尾ミエに山本リンダと、当時のスター歌手たちも続々と登場して番組を盛り立てる役目を担った。
一社提供だった前田製菓の生コマーシャルとして、藤田が劇中で寸劇の最後に商品を出しながらの台詞「おれがこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」や、藤田のギャグ「耳の穴から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたるで」、財津の「ヒジョーにキビシーイッ!」などは流行語となった。
番組が始まった62年は国内のテレビ受像機が一千万台を突破した年でもあり、テレビの黄金時代に重なる。
東京オリンピックが開催された64年頃には国内で最高峰の人気番組となっていた。
妥協を許さない澤田のスピーディーな演出が成功を収めた最大の要因であったことは間違いない。
澤田が離れた後に作られた続編の『てなもんや一本槍』『てなもんや二刀流』は時代の流れもあるとはいえ、かつての輝きを失っており、再び人気を得ることは出来なかった様である。
人気を受けて映画化もされており、63年に東映で『てなもんや三度笠』『続 てなもんや三度笠』が、少し間を置いて66年から67年にかけては東宝で『てなもんや東海道』『てなもんや大騒動』『てなもんや幽霊道中』の計5本が公開された。
藤田が渡辺プロに籍を置いていた時代に作られた東宝のシリーズでは、ハナ肇とクレージー・キャッツやザ・ドリフターズの面々との豪華共演も見られて華やか。
同時期にはクレージーの主演映画にも多数出演している。
藤田まことが自ら歌った番組の主題歌(香川登志緒・作詞/林伊佐緒・作曲)も人気を博した。もともと歌手志望で、ディック・ミネのカバン持ちをしていた時代もある位だったが、達者な喋りで司会業をこなし、やがてコメディアンとして大成した藤田にとって、本来の持ち味を発揮する絶好の場が巡ってきたわけで、番組主題歌「てなもんや三度笠」に続いて、「呑まんとおられへん」「残酷行進曲」など続々とレコードを出せたのは、本人にとってもさぞかし嬉しいことだったに違いない。
『てなもんや三度笠』は64年にケイブンシャから出されたフォノシートがあって、お馴染みの主題歌以外に「スットントロリコなぜか気があうウマがあう」と「てなもんや数え唄」が収められている。
映画作品の主題歌にも使われたこの2曲はいずれも香川の作詞、作曲は野口源次郎。藤田と白木の掛け合いでテンポよろしく、主題歌に勝るとも劣らない傑作である。
ちなみに白木みのるも後に「珍念のタンゴ」というイメージソング(?)をシングルのB面曲として出したことがあった。
昭和30年代にキングで吹き込まれた藤田まことの歌の数々は、氏が惜しくもこの世を去った2010年に追悼盤『てなもんや三度笠 藤田まことソング・コレクション』としてCD発売され、ザ・ピーナッツとの共演による「好きになっちゃっちゃった」などの珍しい曲が収められた。
ほかにも昭和40年代にはアニメ『おそ松くん』の主題歌を歌ったり、ビクターから出されたフォノシート『おれの番だ』収録の「そのうちいい娘にあたるだろう」や、東芝レコードのシングル「どえらい奴/お馬の唄」「梅新ブルース/競馬音頭」など面白い曲が多々見られるが、歌手としての代表作に挙げられるのは、自ら作詞・作曲した71年の「十三の夜」だろう。
自主盤として作られた後、正式にテイチクから発売されてヒットした。
大阪の歓楽街・十三が舞台となった歌は、東京生まれ、京都育ちにも拘らず、『てなもんや三度笠』で大阪の顔として定着した藤田まことを象徴する作品といえる。
2010年逝去の際に多くの関係者が故人を偲ぶ中、「まこやんは大阪の宝」と語った大村崑の言葉が印象深い。
【執筆者】鈴木啓之