自分の活躍が人に勇気を与えられるそんな選手になりたいです【パラ陸上三須穂乃香選手 インタビュー】

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【ニッポンチャレンジドアスリート】
毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを伺います。

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三須穂乃香(パラ陸上・日本体育大学1年)
1998年新潟県生まれの18歳。生まれつき右ヒジから先がない障がいを持ち、小学5年生から陸上競技を始める。高校3年生の時、日本パラ陸上選手権、女子100mで日本新記録をマークし、一躍注目される。今年の春から日本体育大学に進学、陸上競技部に新設されたパラアスリートブロックで先輩の辻沙絵選手とともに東京パラリンピックでのメダル獲得を目指す。

―子供の頃からスポーツが好きだった三須、陸上競技を始めたきっかけは?

三須)小学校5年生の運動会のリレーで男子のこと抜いたのですが、それを見ていた親に勧められて陸上を始めました。

―パラ競技のことはほとんど知らなかったが、テレビで偶然2020年の招致でも活躍したパラリンピアンの佐藤真海を見たことで運命が変わった。

三須)佐藤真海さんの特集を見て、色々パラリンピックについて調べるようになりました。手のない人も出場できるところから始まって、日本記録を見ていると自分のベスト記録よりも遅かったんです。これはいけるんじゃないかと。パラリンピック目指してみようと思いました。

―今年の春から日本体育大学に進学した三須、日体大に進もうと思った理由は?

三須)パラリンピックに対する理解のある大学を探していて、しっかり指導者がいる環境を求めていたんですけれども、日体大ならばパラアスリートブロックができるということをお聞きして選びました。

―現在、パラアスリートブロックのメンバーは2人、1年生の三須ともう1人、リオで同メダルに輝いた4年生の辻沙絵。

三須)高校生の時は、沙絵先輩と走ることが怖くて、同じ障がいだし、負けたらどうしようとかっていう気持ちが強くありました。大学に入って一緒に練習して、沙絵先輩が練習に対して熱心なところなどを見て、ライバルだけど、今の私には必要な存在になりました。姉妹みたいな感じで、頼れるお姉ちゃんっていう感じで慕っています。寮の部屋が隣で、パラの書類やレポートの書き方なども教えてもらっています。

―リオパラリンピックの登場は叶わなかった三須、4年後の東京大会に向け、種目変更という大きな決断を下した。

三須)リオが終わって、100mで勝負をするとなると、すごく厳しい世界で、日体大の中の、短距離の選手で1番にならないとメダルに絡んでいけない。そこで種目変更を考えました。これからは槍投げをメインでやっていこうと思っていて、今は筋力トレーニングや投げる基本動作を練習しています。最終的には東京パラリンピックで金メダルを目指しています。

―短距離が専門だった三須にとって、投擲種目は未知の領域だ。

三須)初めてですが、可能性があるならやっていこうと思います。まだ基本の突き刺しであったり、少し遠くへ投げたり、助走を入れてみたりという感じで、うまくできない部分が多いのですが、最終的には45m以上投げたいと思っています。しっかり練習積んで、ウェイトトレーニングで筋肉をつけていけば不可能ではないと思っています。

―4年後の東京パラリンピックはもちろん、その先にも三須のアスリート人生は続く。

三須)自分の活躍を見て、何かに挑戦しようとか、元気をもらえたと言ってもらえるような選手になりたいです。自分の活躍が応援してくれる人に勇気を与えられる、そんな環境を築いていきたいと思っています。

―三須にとってパラ陸上の魅力とは?

三須)健常の人の100メートルは1種目だけですが、パラの世界ではその100メートルの中にもさまざまなクラスがあります。義足の種類であったり、私たちみたいに手がない人が走っていたり、1つ1つの種目で活かすものも違いますし、走り方も全部違ってきます。そんな奥深いところがパラ陸上の魅力だと思います。

(2016/10/31~11/4放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 (月)~(金) 13:42~放送中
(月)~(木)は「土屋礼央 レオなるど」内、(金)は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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