たすきをつなげるように人と人との出会いをつなげるそんなランナーでありたい【道下美里(リオパラリンピック・視覚障がい者女子マラソン銀メダリスト)インタビュー】

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【ニッポンチャレンジドアスリート】
毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを伺います。

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道下美里(みちした・みさと) 1977年山口県下関市生まれ。中学2年生の頃、角膜の病気で右目の視力を失い、25歳のときに左目もかすかにしか見えない状態に。その後、30代から本格的にマラソンを始め、2014年、当時の世界新記録を樹立するなど、日本を代表するトップランナーに成長。今年、リオパラリンピックに出場し、視覚障がい者女子マラソンで銀メダルに輝いた。

―道下を襲った目の病気は膠様滴状角膜ジストロフィー。歳を重ねるとともに視力障がいが強くなるという難病である。

道下)左目は視力0.01弱あります。光の見え方によって全然見え方が変わりまして、光がとても強いと目の前にいる人の存在さえも見えなくなるような、そういう視力です。

―左目の視力も悪化し、仕事も辞めざるを得なくなった道下。一時は家から出られなかった。そんな中、マラソンに出会ったきっかけは?

道下)母の勧めで盲学校に通うようになり、その体育の授業で走ることがあり、目が不自由でもガイドランナーさんがついていれば走れるということを教わりました。久しぶりにグラウンドを走ると風を切って走るのが気持ちよかった。その爽快感が忘れられなくて、走ることに徐々にのめり込んでいきました。

―視覚障がい者ランナーとロープを持って一緒に走るガイドランナー。その役割は単に伴走するだけではない。

道下)目の不自由な私はガイドランナーさんと言う、目の代わりになってくださる方をつけて一緒に走ります。いわゆる手と手を結ぶ二人三脚のようなかたちで2人で息を合わせて走ります。目の役割をしてくださるので足元の不安を取り除くために、足元でこぼこだったり路面の状態を教えてくれたり、目の前のコースの状況、「右曲がります。右90度、右、右、右、はい」というような声掛けをしてもらい、安心して走れるようなサポートをしていただいています。

―努力を重ね、2014年4月、視覚障がい者女子マラソンでは初の世界大会となったロンドンマラソンに出場。3時間9分40秒のタイムで2位に入り、12月に地元・山口で行われた国際大会では、2時間59分21秒と3時間を切る好タイムで優勝し、当時の世界新記録を樹立した。

道下)2014年に2時間59分21秒出した時、世界記録だったんですけれども、3時間切るということで、視覚障がい者女子マラソンのレベルが高いことを実証できました。きっとリオでも絶対正式種目として開催されるという熱い思いになりました。

―リオパラリンピックで、視覚障がい者女子マラソンが正式種目に採用。知らせを聞いたときの心境は?

道下)皆で大喜びをして、「よし、やってやるぞ!」、「金メダルいくぞ!」という熱い思いに駆られました。10年以上パラリンピックに出たいっていう思いがすごく、その夢が叶ったっていうので、でもこの喜びをしっかりとメダルを獲ったあとの喜びにさらに高めていけるように、身が引き締まる思いがしました。

―リオでのレース中、道下には忘れられないシーンがあった。

道下)伴走者交代という地点がありまして、前半の伴走者と後半の伴走者で私は2人の伴走者の方につないでもらって走ったんですけれども、20キロ地点で交代をするんですね。交代が終わった時に、前半の伴走者の方が、涙を流しながらたすきをつないでくれて、そこがものすごく私の中で印象に残っています。レースの中で、3人が唯一、一緒になれる場所なので、思い入れが強い場所なんです。

―練習では、伴走してくれるランナーとのスケジュール調整もしなければならない。

道下)1週間ほぼ毎日練習をしておりまして、月曜日は例えば月曜日がお休みの理容師をされている方、火曜日はネットでお仕事をされているような、時間に制限されない方に伴走サポートをしていただいています。ボランティア休暇っていうものが取れるっていうそういう制度を利用して午前中練習に付き合って頂く方もいらっしゃいます。1週間の練習を約10人ぐらいの方にサポートしていただいていまして、年齢層も実は20代から70代と幅広い方にロープを持っていただいて走っています。

―今、道下が目標としているタイムは?

道下)次出る大会で2時間55分ですね。国内の大会ではそれぐらいの記録を出したいなと思いますし、海外に出れば、その海外のレースの中でのベストタイムは出したいと思っています。58分台のタイムが、まだ世界記録ですので、まずそれを上回ることですね。

―リオから帰国後、銀座でオリンピックメダリストと合同で行われたパレードにも道下は参加したが、印象に残る出来事があった。

道下)「感動をありがとう!」とたくさんの方に掛けて頂いたのが、心に残ってます。今まで競技をやっていて、「頑張ってね」とか「応援してるよ」という言葉はよく聞くんですけど。「ありがとう」ってこちらが伝えたいのに、スポーツをやってきて本当良かったなと思いました。

―将来はどんなランナーになりたいのか?

道下)目が不自由になって、たくさんの方のサポートがないと走れない。それならば逆にたくさんの方と出会うチャンスがいっぱいあるということで、そういう出会いをつなげていくことで私に何か役割が与えられるのであれば、こなしていきたいなという風に思っています。

―道下に限らず、どの視覚障がい者ランナーも苦労しているのは伴走者の確保。そのことを健常者のランナーにももっと知ってもらいたいと道下は言う。

道下)練習を支えて下さる方も人間ですので故障することもあれば、体調崩すこともあります。お仕事を転勤されてサポートできなくなるということも過去にたくさんありました。常に練習できる環境を確保するのはものすごく難しいです。サポートして下さる方が1人でも増える、そういう仲間作りをすることが、とても大切なことだと思います。

―道下にとって、視覚障がい者マラソンの魅力とは?

道下)ランナー人口はとても多いんですよね。その中でいろいろな人とつながれるということは魅力です。障がい者のスポーツはさまざまありますが、視覚障がい者マラソンはその中で出会いが運ばれやすい競技だと思います。走っている人は近所にもたくさんいます。出会いがつながっていくことで自分のできることが増えていく。ヘルパーさんにお願いをして、外に出歩く視覚障の人もたくさんいらっしゃると思うんですけれども、私は走ることに出会って、ヘルパーさんを利用することがありません。生活も潤っていくのを実感しているので、たくさんの方に走ることを勧めたいと思います。

(2016/11/14~11/18放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 (月)~(金) 13:42~放送中
(月)~(木)は「土屋礼央 レオなるど」内、(金)は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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