フランク・ザッパとディープ・パープルの意外な関係とは?

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1971年12月4日は、ディープ・パープルの最大の大ヒット曲「スモーク・オン・ザ・ウォーター」の歌詞の元となった、あの有名になったフランク・ザッパ&ザ・マザーズのコンサートで火事が起こった日、そして、そのフランク・ザッパの命日でもある。

良く知られたことではあるが、黄金時代でもある第二期ディープ・パープルはレコーディングをスイス・モントルーにあるカジノのステージを選んだ。ここには「マウンテン・スタジオ」というレコーディングが出来るスタジオがあり、ステージからラインでレコーディングすることも出来たところで、レッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイ、ローリング・ストーンズ等の数多くのビッグ・アーティストがレコーディングしており、クイーンが買い取って所有していた時期もある。彼等はここのカジノでライヴ・コンサートのようなスタイルでレコーディングをする予定で、そのためにローリング・ストーンズが所有していたモービル・ユニット(車で移動出来るレコーディング・システム)を借りていた。

パープルのメンバーはレコーディングのためスイスに入り、レコーディングの直前に丁度そのカジノでコンサートを行っていたフランク・ザッパ&ザ・マザーズを観に行ったのである。そのコンサートで熱狂した観客が救助用に用いられる照明弾を放ってしまい、瞬く間に会場が火事となり、建物も炎上してしまう程の大惨事となってしまった。その様子を歌詞にして作り上げた曲が「スモーク・オン・ザ・ウォーター」で、直後にレコーディングされたのである。ちなみに当然この場所でのレコーディングは出来なくなり、別のパヴィリオンでのレコーディングに急遽変更。しかしそこではあまりの音量の大きさに多くの住民が通報し、警察官が来る程の大騒ぎとなってレコーディングは頓挫する。

通常であればレコーディングはこの時点での中止・延期もありえただろう。しかし地元住民の協力によって何と空きホテルでレコーディングすることが可能となった。ホテルにはストーンズのモービル・ユニットが持ち込まれ、主に廊下でレコーディングされた。ベッドのマット等を吸音材として使用したり、部屋をブースとして使用したり、試行錯誤を重ね完成したアルバムが『マシン・ヘッド』なのである。その様子はアルバムの内ジャケット等に写真が掲載されているが、そのレコーディング・スタッフの苦労は大変なものだったことが予測出来る。尚、12月のスイスは大変寒く、凍えるような日も少なくなかったという。

コアなファンや当時から彼らを聴いていたロック・ファンは知っていることであるが、当時アルバム完成後にまずリリースされたシングル「ネヴァー・ビフォア」、そして「ハイウェイ・スター」であり、その後初来日しあの名盤『ライヴ・イン・ジャパン(MADE IN JAPAN)』は日本のみのリリースでレコーディングされたが、あまりの出来の良さに全世界発売、タイトルやジャケットが違うのは日本が先行発売されたからである。そしてコンサートでは2曲目に演奏されたのが「スモーク・オン・ザ・ウォーター」で、そのライヴ音源がスタジオ録音とカップリングでシングル・リリース、この名曲がシングルで大ヒットしたのはアルバム発売から一年以上経過してからのことなのであった。

【著者】佐藤晃彦 / JEFF SATO(さとう・あきひこ):1955年10月13日生まれ、78~00年までワーナー・ミュージックとユニバーサル・ビクターで、主に洋楽・邦楽ディレクターとしてジャクソン・ブラウン、モトリー・クルー、ラウドネス、渡辺貞夫、松岡直也、憂歌団、喜多郎、hide/pata (X Japan)、Zeppet Store等を担当、独立後(有)ジェフズ・ミュージックを設立、音楽制作、インディーズ・音楽著作権管理、大学・専門学校講師、おやじバンド・イヴェント企画、音楽ライター、CDレコード・ショップ運営等を行う。
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