本日3月19日は「北国行きで」朱里エイコの誕生日
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【大人のMusic Calendar】
本日3月19日は、リトル・ダイナマイト、朱里エイコの誕生日。生きていれば今日で70歳となる。
今月はどうやら、筆者にとっては「わけあり歌姫月間」となっているらしい。高橋真梨子は、ペドロ&カプリシャスの前任者・前野曜子に比べればわけあり度は微々たるものだけれど、一昨年紅白に出演した時、異常なほど体重が減っていたことをスキャンダラスに報じられていたし、前回の受け持ちは時の流れに冷たくあしらわれた白雪姫だった。そして、いわゆるアイドルとは別の位置にいたシンガーではあったけれど、今日の主役・朱里エイコもまた、80年代以降マスコミがスキャンダラスに扱う度、全盛期の輝きを知る者を嘆かせてしまった「犠牲者」だった。最近Twitterで、彼女の度重なる奇行を報じた80年代の雑誌の記事が流れてきて、「そんなこともあったのか!」と吃驚したばかりだったけど、このコラムでそれを繰り返したとして、誰も喜ばないに決まっている。さっさと音楽の話をしたい。
子供向けのレコードのため、初めてのレコーディングを経験して10年目を迎えた72年、起死回生の思いで発売した「北国行きで」がオリコン6位を記録する大ヒット。この曲の印象も大きかったが、当時父か父の仕事仲間の車の中で聴いたパワフルな女性ヴォーカル。曲は「トライ・ア・リトル・テンダネス」だったはずだが、圧倒的で凄いなと夢中になった。カーステレオに差し込まれていたカートリッジに記されていたのは、朱里エイコの名前だった。海外の女性歌手ではなく、「北国行きで」のあの人だった。子供心に衝撃を受けたのを覚えている。
その境地に達するまでが、彼女自身にとっては棘の道だった。1964年にビクターから、伊藤アイコのシングルのB面で初めて一般向けレコードに歌声を刻むが、その年のうちに自らの意志で単身渡米し、歌手としての武者修行を積む。これが16才の時のことである。66年に帰国し、翌年キングからシングル「恋のおとし穴」で正式に歌手デビュー。同社では7枚のシングルをリリースしているが、結局大きな花を咲かせることはできなかった。ただ、シングル曲以外にもいくつもの未発表録音を残しており、成功の度合い次第でアルバム発売の可能性もあったことを示唆している。これは当時のキング所属歌手の多くに共通する特徴であった。
そんなキング時代のレコードの中でも突出しているのが、今やモッドクラシックとして若いリスナーにも認知されている3枚目のシングル「イエ・イエ」(67年)だ。言うまでもなく、レナウンのキャンペーンソング。このCMの斬新な映像は、サイケ時代を回顧する番組に於いて度々取り上げられ、その都度新しいファンへと語り継がれているが、曲そのものだけをとってもグルーヴィで、決して古臭くなっていない。最近になってアナログ盤も復刻され、衰えない人気を証明した。
95年にリリースされた、GS時代の女性歌手の貴重な録音を集めたコンピシリーズ『60'sキューティ・ポップ・コレクション』のキング編『Suki Suki Edit』では、キング時代のシングルから5曲が選曲され、埋もれていた秘宝に光が当てられた。中でも注目されたのは、5枚目のシングルとなった「まぼろしの声」(68年)。ミステリアスな合いの手をフィーチャーしたヘヴィでファンキーなR&B歌謡で、ミスターXとクレジットされたその声の主は、あの踊る指揮者・スマイリー小原であった。その前作で、英国のサイケポップ・グループ、クロシェテッド・ドーナツ・リングの知られざる曲をカヴァーした「ハバナ・アンナ」(68年)の、主にパーカッション類のみで作られた斬新なサウンドも注目の的となった。GS度は希薄ながら、その時代ならではの躍動感を歌唱力で見事に表現しきったのが、60年代の彼女のレコードの特徴であった。98年には、未発表曲も含むキングでの全録音をまとめたCD『イエ・イエ』がリリースされ、初期の朱里エイコ再評価をさらに加速させている。
69年にはキングを離れ再び渡米、71年に帰国して発足したてのワーナー=パイオニア(当時)と契約、敬愛するフランク・シナトラが主宰したリプリーズ・レコードからリリースを開始。「北国行きで」はその2枚目のシングルだった。このワーナー時代に於いても、後々再評価の対象となった楽曲は数多い。本格的ファンク歌謡として、和モノシーンを中心に脚光を浴びた「AH SO!」(75年)、筒美京平によるアダルト歌謡の逸品「二時から四時の昼下り」(74年)。73年に出した、冨田勲を作・編曲家として起用した『パーティー はなやかなる集い』は、野心的コンセプトアルバムとしてCD時代に入り再び脚光を浴びたが、特にドラマティックに展開される異色のハードロック歌謡(!?)「ディープ・パープルはどこ?」はカルトな人気を得ている。これら初期ワーナー作品のプロデュースを手掛けた大野良治(元アウト・キャスト)の業績も見逃せないところだ。
2004年には、根食真実という新人歌手が「北国行きで」をカヴァーしてひっそりとデビュー。彼女はあの上戸彩を生んだ幻の4人組アイドルグループ、Z-1のメンバーでもあった人だ(この「あの人を生んだグループにいた別の人」というパターンは、実は筆者の大好物である)。2ヶ月後リリースされることになるそのカヴァーを聴くことなく、同年7月31日に朱里エイコは帰らぬ人となった。まさに「リトル・ダイナマイト」のさりげない完全燃焼。最後にテレビで彼女を見た時に覚えたのは、「ああもう時代は戻らないのだな」という感慨のみだった。そこまでやつれきってしまった姿は、そっとしてあげるべきものだった。いつまでも聴かれて騒がれてほしいのは、彼女が残した数々の名唱だけである。
朱里エイコ「北国行きで」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。