映画音楽界の巨匠ヘンリー・マンシーニ、その意外な初期作品
公開: 更新:
【大人のMusic Calendar】
本日6月14日は、数々の映画音楽で知られるアメリカの作曲家・編曲家であるヘンリー・マンシーニの命日。94年にビバリーヒルズの自宅で死去したとき、彼は70歳だった。
マンシーニといえば、テレビの私立探偵シリーズ『ピーター・ガン』で成功した58年を皮切りに、オードリー・ヘプバーン主演映画『ティファニーで朝食を』(61年)、『シャレード』(63年)や、68年から放映開始した人気テレビ・シリーズ『刑事コロンボ』、テーマ曲がスタンダード化した『酒とバラの日々』(62年)、大ヒット・シリーズとなった『ピンク・パンサー』などの音楽を手がけたことでよく知られている。『ティファニーで朝食を』では、声域の狭いヘプバーンのために1オクターブの制限のなかで劇中歌「ムーン・リバー」を書いてアカデミー歌曲賞に輝くなど、60年代のハリウッド映画音楽には欠かせない存在だった。
編曲家としても見事なスコアを書いたマンシーニだが、作曲家としての才能の素晴らしさは、他に類をみないものだったといえよう。彼の書く曲には、気品のなかにもユーモアのセンスやウィットがあり、単に流麗なだけに終わらない、新鮮な趣向にあふれたものが多い。『ティファニーで朝食を』や『シャレード』といった映画自体がいつまでも面白さを失わない名作なのと同様に、そこに添えられたマンシーニの音楽も、いつまでも輝きを失わない、まさにスタンダードそのものだった。
その楽曲の魅力は、「ピーター・ガン」や「ムーン・リバー」におけるカヴァーの多彩さにもよく表われている。「ピーター・ガン」は、トゥワンギー・スタイルで知られるギター・ヒーローのデュアン・エディが60年に、奇才トレヴァー・ホーンが手がけたアート・オブ・ノイズが86年に、それぞれヒットさせているし、「ムーン・リバー」は、シカゴを代表するR & Bシンガー、ジェリー・バトラーのヴァージョンが、本家マンシーニのヴァージョンと競合する形で61年に全米ヒットを記録している。
そんなマンシーニが、初期にどんな作品を録音していたか、興味が湧く人も多いだろう。最初に成功した「ピーター・ガン」も、初のシングル・ヒットとなった「ミスター・ラッキー」(60年全米21位)も、どちらもテレビ・シリーズのテーマ曲であり、すでにマンシーニ独特のセンスが発揮された作品だった。しかし、実はその数年前に、マンシーニ初のリーダー・アルバムとしてリバティ・レコードから発表された『ドリフトウッド・アンド・ドリームス』という作品があり、こちらのほうはというと、なんとマーティン・デニーやアーサー・ライマンのようなエキゾティック・サウンド作品なのである。
このアルバムは57年にリリースされたあと、59年には『ザ・ヴァーサタイル・ヘンリー・マンシーニ・アンド・ヒズ・オーケストラ』とタイトルを変更して再発。その時点では、すでに「ピーター・ガン」で成功しており、そのイメージに合わせる形で、女性が眠る横顔アップのジャケットから、アメコミ風にマンシーニを描いたジャケットへと一新されていた。
神秘的な女性コーラスもフィーチャーしながら、メロディを奏でるアコーディオンの音色がムーディーに響く……。「バリ・ハイ」「スリーピー・ラグーン」「引き潮」といったエキゾティック・ナンバーを妖しげなムードで披露する『ドリフトウッド・アンド・ドリームス』が、のちの映画音楽界の巨匠マンシーニの第一歩だった事実は、ちょっぴり興味深いものだと思う。
【著者】木村ユタカ(きむら・ゆたか):音楽ライター。レコード店のバイヤーを経てフリーに。オールディーズ・ポップスを中心に、音楽誌やCDのライナーに寄稿。著書に『ジャパニーズ・シティ・ポップ』『ナイアガラに愛をこめて』『俺たちの1000枚』など。ブログ「木村ユタカのOldies日和」もマイペース更新中。