高橋幸宏がビートルズから学んだこと

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【大人のMusic Calendar】

高橋幸宏の歌に、「今日の空」というのがある。1985年のアルバム『Once A Fool,...』の最後を飾っていた曲で、切なさを寄り添わせた屈指の名曲の一つだ。雨上がりに好きな女性を連れ出し、水たまりにはしゃぐ彼女の姿を追う。好きな男性がいる彼女に、なにも言えず、ずっと見守っているよと呟き、女性の横顔を見ながら、ため息をつく。それぞれ異なる思いを抱く二人だが、今日の空は同じように少し悲しそうに映る。こんな歌だ。

他にも、「何処へ」、「泣きたい気持ち」、「青空」のように、空が出てくる素敵な歌が多いせいか、高橋幸宏という人には、一人空を見上げる姿が良く似合う。その姿に、言葉にできない淋しさとか、はかなさとかを抱えた少年が重なり、そこにまた、ぼくらは、少なくともぼくは、忘れてしまった自分自身の少年を探そうとしてみる。

ともあれ、今日、6月6日は、その高橋幸宏の誕生日だ。1952年、東京に生まれた。その存在が広く知られるようになったのは、サディスティック・ミカ・バンドのドラマーとしてだった。その後、細野晴臣、坂本龍一とのYMOで一世を風靡し、その功績で語られることが多い。もちろん、いまもドラマーとしては圧倒的な存在感がある。彼よりも技術に卓越した人はいるかもしれないが、彼のように、ドラムセットの前に座っただけで、歌が、ロックが聴こえてくるようなドラマーはいないし、こんなに目立つドラマーもいない。そもそも、彼は、技術をひけらかすことを目的とはしていないような気がする。

高橋幸宏がビートルズから学んだこと
高橋幸宏がビートルズから学んだこと

そのドラムスとの出会いは、小学5年生のときで、中学生になると、兄・信之が成毛滋らと組んでいたザ・フィンガーズで、叩くこともあったらしい。高校生の頃には、すっかりプロとして活動していたという。なにしろ、十代で2度も武道館のステージに立っている人だ。ガロと一緒にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの、ブレッド&バターと一緒にビー・ジーズの、それぞれ前座を務めた。
音楽との出会いで、決定的だったのは、ザ・ビートルズだ。ビートルズの影響を受けた音楽家は沢山いるが、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」や「アイル・フォロー・ザ・サン」を例にあげ、彼らに惹かれた理由を「センチメンタリズム」という言葉で表すような人と出会ったのは、ぼくは初めてだった。

考えてみれば、ビートルズは、ぼくらを全く新しい宇宙へと導いてくれた。それどころか、常に新しい扉を開け続け、そのためにはそれまでのものを壊し、過去のものにしてきた。壊したのは、大人たちが作った約束事ばかりじゃない。ビートルズ自身という残酷さも課せられたはずだ。新しいものが好きで、自らにさえ追いつかれることを嫌う彼もまた明日に向けて踏み出すとき、背後で閉ざさざるをえない扉の音に、その余韻に切なさがともなう、そのことを既に感じていたのかもしれない。

また、ビートルズから彼が学んだことの一つに、友だちと音楽を奏でる歓びがあった。YMOはもちろんだが、サディスティック・ミカ・バンドでの加藤和彦や小原礼や高中正義、いや、それを遡ること、バズやガロと一緒にやっていた時代からの友人たち、また、鈴木慶一とのザ・ビートニクス、細野とのスケッチ・ショウ、そこに坂本も加わってのヒューマン・オーディオ・スポンジ、原田知世や高野寛や高田漣らとのpupa、小山田圭吾やTEI TOWAらとの METAFIVEと、これまで沢山の友人たちと音楽を奏でてきた。

高橋幸宏がビートルズから学んだこと

だから、この人の周りには、音楽界に限らず、ファッション界を含めて、本当に沢山の友人たちがいて、華やかで、賑やかだ。それでも、何処か、一人っきりでいることの大切さを忘れないで持ち続ける、そういうところがこの人にはある。

そしてなによりも、ビートルズから彼が学んだ最も大きなことは、ポップ音楽というのはいったいどういうところに価値があるのか、そのことではないかと思う。それはなにも特別なものではなく、ぼくらの日常の中に、いろんな形で存在し、好きとか嫌いとか、勝ったとか負けたとか、強いとか弱いとか、そういうもの以上に大切なもの、それを、探しだし、問いかけることではないか。

つまり、それは、どう生きるか、それとほとんど近い。しかも、誰も教えてはくれない。だからこそ、音楽はこうあるべきだとか、ロックとはこうあらねばとか、ドラマーはこうあるべきだとか、悲しさや喜びはこう表現すべきだとか、そういう既存の約束事を徹底して拒み、高橋幸宏ならではの言語を、生き方を探し続けてきたような気がする。

これだけの才気と実績を誇る人だ。時には、それらに胡坐をかくというのはなんだけど、もう少し気楽に音楽と向き合ってもいいのではないか、こだわりのようなものを一つでも剥ぎ取ってはどうだろう、そうすれば、苦しそうにみえたり、辛そうにみえたりすることもなくなるのではないか、と思えたりもしないではないが、そうならないからこそ、高橋幸宏なんだろうな、と思う。

今日6月6日で66才になった彼には、今日の空は、どんな風に見えているだろうか。しかし、ふと思う。そうだ、彼は、つい最近、網膜剥離の、硝子体手術をしたばかりではなかったかと。先日のビートニクスのライヴも、回復がぎりぎり間に合ってのライヴだった。身近な人たちの中には、まだ、不安視する声もあったときく。それでも、その夜、彼は、素敵に歌い、演奏し、最高のドラムを叩いた。そんなことからもわかるように、高橋幸宏には、少年のように、頑張りすぎるところも、少しある。

【著者】天辰保文(あまたつ・やすふみ):音楽評論家。音楽雑誌の編集を経て、ロックを中心に評論活動を行っている。北海道新聞、毎日新聞他、雑誌、webマガジン等々に寄稿、著書に『ゴールド・ラッシュのあとで』、『音が聞こえる』、『スーパースターの時代』等がある。
高橋幸宏がビートルズから学んだこと

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