ゆりかごから酒場まで~梓みちよのヒットパレード
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「上を向いて歩こう」などと同様、NHKのヴァラエティ番組『夢であいましょう』から生まれた「こんにちは赤ちゃん」は1963年のレコード大賞グランプリを受賞し、昭和天皇の御前で歌われたことでも知られる、国民的な大ヒット曲。渡辺プロに所属していた八重歯の覗く笑顔の可愛らしい若手女性シンガー、梓みちよはこの曲で一気にスターダムへ躍り出た。「ヘイ・ポーラ」など田辺靖雄と組んでのヒットや、70年代にはイメージを一新しての「二人でお酒を」「メランコリー」など、数多のヒットソングを歌い続けてきた梓みちよは1943年6月4日福岡県博多の生まれ。本日75歳の誕生日を迎えた。
梓みちよは本名を林美千代といい、福岡で育ち、福岡女学院を経て宝塚音楽学校に入学。ピアノ、声楽、バレエなどを就学の後61年に上京して、渡辺プロダクションのオーディションに見事合格する。中尾ミエ、伊東ゆかりとともに社長の渡辺晋宅に寄宿してレッスンに励んだ。当初はNHKのドラマ『雲が呼んでいる』で橋幸夫の相手役に抜擢されたり、中尾ミエ主演の東宝の映画『夢で逢いましょ』に出演するなど、まずは演技者としての実力がクローズアップされることになる。歌手としてはジャズ喫茶などで歌った後、事務所の先輩であるハナ肇とクレージーキャッツの日劇公演に出演したのが初の大舞台となった。その時はやはり渡辺プロの新人だった、園まり、木の実ナナも一緒に出演している。そして63年1月にキングレコードから「ボッサ・ノバでキッス」で満を持してのレコード・デビュー。ブラジル産の洗練されたサウンドで注目を浴びていたブラジル音楽“ボサ・ノヴァ”がフィーチャーされ、“ボッサ・ノバ娘”のキャッチ・フレーズで売り出されたのだった。「ボッサ・ノバでキッス」はポール・アンカのカヴァー。この年はジョアン・ジルベルトとスタン・ゲッツのコラボによるボサ・ノヴァ・アルバムに収録されていた「イパネマの娘」がアメリカで大ヒットしたが、日本人にとってこのジャンルが一般化するのはもう少し後のことなので、ボッサ・ノバ娘のコンセプトは時代が少々早すぎたのかもしれない。
シングル第2弾は当時銀座四丁目交差点角に新オープンした三愛ビルのキャンペーンソング「スカイリング・デイト」、第3弾はイーディ・ゴーメのカヴァー「恋はボッサ・ノバ」と展開されるも、実際に大きなヒットへ至ったのは同年7月にリリースされた5枚目のシングル「ヘイ・ポーラ」である。ヤッチンこと田辺靖雄とのフレッシュなコンビが話題を呼び、フジテレビ『ザ・ヒットパレード』の番組内で名前が一般公募された結果、二人のイニシャル、みちよの“M”と靖雄の“Y”からとって“マイ・カップル”と命名された。さらに11月に出された8枚目のシングル「こんにちは赤ちゃん」が決定打となる。NHKの人気ヴァラエティ『夢であいましょう』の<今月の歌>として紹介された作品のひとつで、永六輔・中村八大コンビの作品は第5回レコード大賞を受賞したほか、日活と東宝で映画化もされ、当時の天皇陛下(=昭和天皇)に招かれて御前歌唱が行われたこともよく知られているだろう。翌64年の選抜高校野球の開会式行進曲にも採用されるなど、国民の愛唱歌として定着してゆく。ベビーブームに拍車をかける一曲となった。
初期のシングルは洋楽カヴァーとオリジナルの混合戦であったが、東京オリンピックが開催された64年の秋にはなると、完全にオリジナル路線でのリリースが続くことになる。65年は抒情歌「忘れな草をあなたに」がヒット。66年は皇太子妃美智子殿下(現・皇后陛下)作詞による「ねむの木の子守歌」がビクターの吉永小百合、ポリドールの西田佐知子らと競作になり、ほかにも三木鶏郎作の「ポカン・ポカン」、弾厚作こと加山雄三作の「白い浜」(「赤いつるばら」のカップリング)などの話題作が相次いだ。67年にはドラマの同名主題歌「お嫁さん」や、作曲家に転向して間もない平尾昌晃の作による「渚のセニョリーナ」をヒットさせる。「渚のセニョリーナ」の作詞は後に山上路夫夫人となる尾中美千絵であった。その後74年には、山上の作詞による「二人でお酒を」が久々のヒットとなる。大胆なイメージチェンジを図って復活を遂げたカムバック作は、その後76年に吉田拓郎が作曲を手がけてヒットした「メランコリー」と共に後年の代表作となる。清廉な「こんにちは赤ちゃん」と、ステージで胡坐をかいて歌われたアダルトな「二人でお酒を」はまったく違うタイプの曲でありながら、どちらも秀でた歌唱力によって表現された歌謡ポップスであるという点では共通している。その間僅か10年ほどなのだが、今よりも一年一年が非常に目まぐるしく変化していた濃密な時代背景が窺われる。さらには、キャンディーズのアルバム曲をシングルとして吹き込んだ「銀河系まで飛んでいけ」(78年)、CBS・ソニー移籍第1弾となったタバコのCMソング「よろしかったら」(79年)と、傑作が連なった。
梓みちよのヒット曲の歴史を振り返ると、まずはデビューから3年ほどのカヴァー作品やタイアップなどのノヴェルティ・ソングが目立った第1期、続いて60年代後半から70年代初頭までオリジナルの歌謡ポップスを極めた第2期、そして70年代中盤以降のアダルトなポップスで円熟の域に達した第3期、という分けかたが出来そう。吉田拓郎の「メランコリー」以降、宇崎竜童、谷村新司、加藤和彦らのシンガーソングライター達が新たな作家陣として投入された70年代後半以降の作品も佳曲揃いだが、それ以上に渡辺プロ系の作家たちにフォークやGSの人脈が合流して、作り手の層が最も厚かった70年前後の楽曲の充実ぶりには目を瞠らされる。いずれも歌謡曲黄金時代の幸福な産物であったことは間違いない。見事期待に応えてそれらをヒットさせた梓みちよの実力おそるべし。
【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。