本日はモズライト・ギターの生みの親、セミ・モズレーの誕生日
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“ベンチャーズ・モデル”で有名なモズライト・ギターは、アメリカのカリフォルニア州ベーカーズフィールドでギター工房を個人で営んでいたセミ・モズレー(Semi Moseley/ 1935年‐1992年)によってはじめられたエレキ・ギター・ブランド。本日6月13日はそのセミ・モズレーの誕生日である。
ギタリストとして活動をし、自分や知人のギター改造・修理を行っていたモズレーは、ギターの製作技術を習得する為に17歳だった1951年から約2年間、リッケンバッカー(ビートルズ愛用のギターとして知られるブランド)で働き、また〝ソリッド・エレキ・ギターの父″として知られるポール・ビグスビーのギター工房の手伝いなども行い、1953年に自分の工房をスタート。その際に、資金援助などをしてくれたレイモンド・ボートライト(Raymond Boatright)に敬意を払い、彼の名前と合わせた“Mosrite”というブランド名にした。
一つの転機は1954年、当時カントリー・ギターの名手として知られ、またセッション・ミュージシャンとしてリッキー・ネルソンやジョニー・バーネットといった人気ロックロール・シンガーのレコーディングにも参加している、ジョー・メイフィスの為に製作したダブル・ネック・ギターが、その個性的で高級感のあるルックスと、高名なメフィスが使用したことで注目され、モズライトに多くのオーダーが入るようになり、量産工場になった。
しかし何といってもこのブランドが有名になったのは、1960年代初頭から活躍する人気ロック・インストゥルメンタル・バンド、ベンチャーズが使用しはじめたことからだ。1962年にベンチャーズのリード・ギタリストのノーキー・エドワーズが、使っていたギターの改造の為に訪れたモズライトの工房で、そこにあったモズレー製作のギターが気に入って持ち帰り、アルバム『サーフィン』のレコーディグで使用し、翌1963年に“ベンチャーズ・モデル”が企画され、ベンチャーズの事務所がその販売権を得ることで発売されて他のメンバーも使用するようになり、ベンチャーズが彼らのレコード・ジャケット裏に広告を掲載するなどしたことで、一気に世界中で注目され人気モデルとなった。
モズライト社は倒産や商標問題のごたごたもあったが、現在も生産されている。
ベンチャーズ・モデルの魅力は、フェンダー・ストラトキャスターを裏返したような個性的なボディ形状、その外周にジャーマン・カーヴと呼ばれる波打ったような加工が施された豪華なルックス、使用感に優れた薄いネック、ハイパワー・ピックアップによる音圧感のあるサウンド、ダイナミックな奏法が可能なトレモロ・アームなどで、“エレキ・ギターのロールスロイス”と呼ばれる高級エレキ・ギターとして知られている。
日本では、寺内タケシや加山雄三ら人気ギタリストが愛用したことも大人気モデルとなった重要な要因で、寺内の「津軽じょんがら節」や「運命」、加山は「夜空の星」「ブラック・サンド・ビーチ」などのヒット曲や大ヒット映画“若大将”シリーズでも使用した。また、ベンチャーズ世代のChar、高中正義、渡辺香津美もベンチャーズのカヴァー曲を演奏する際に使用したり、近年活躍する日本のバンド、the band apartの川崎亘一、EL-MALOなどで活躍する會田茂一らも愛用。海外では、1960年代にはデイビー・アラン(アロウズ)、ダニー・ハミルトン(T‐ボーンズ)、グレン・キャンベルらが愛用し、後年ではリッキー・ウィルソン(B-52's)、ジョニー・ラモーン(ラモーンズ)らが愛用。カート・コバーン(ニルヴァーナ)もモズライト・ギターを使用していたこともあった。
寺内タケシとブルージーンズ「津軽じょんがら節」寺内タケシとバニーズ「運命」加山雄「夜空の星」「ブラック・サンド・ビーチ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
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【著者】髙橋重夫(たかはし・しげお):音楽プロデューサー、楽器開発プロデューサー。1970年代にレコード会社ディレクター、音楽雑誌編集長を経て、音楽プロデューサー&ライターとなり、数多くの音楽雑誌、洋楽レコードのライナーノーツなどを手がけ、その後、楽器メーカーに在籍し、楽器開発、アーティストリレーションなどを長年行い、現在は、執筆、イベント企画、楽器開発などを行っている。著書に『100%エレクトリック・ギター』(シンコー・ミュージック)、『もっと知りたい!!エレキギター専科』(ミュージックトレード社)など。