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1981年(昭和56年)の本日、オリコン・アルバムチャートの1位を射止めたのは、伊藤つかさのデビューアルバム『つかさ』だ。10月1日リリースされた同アルバムは、発売12日目にしてアルバムチャート1位という大快挙を達成し、以後3週にわたり1位を独走。その2週目となったのが、10月19日付のチャートだった。
1981年といえば、メガヒットアルバムに「一家に一枚もの」と言う勲章を与えてもまだ通用する時代だった。3月21日発売された不朽のロング・セラー、大滝詠一『ア・ロング・バケイション』はまさにその代表と言えるアルバムだが、それでさえ、12週も1位を独走したモンスターアルバム、寺尾聰『リフレクションズ』とかち合ったため、最高2位止まりに終わった。そんな輝ける時代が、貸レコード店という想定外の撹乱勢力の台頭により、いよいよ終わりを告げようとしていた。
『リフレクションズ』の落城後、さだまさし、横浜銀蝿、シャネルズ(当時)、サザン、オフコースとカラフルに交代を続けていたアルバムチャートのトップに、突然14才の少女が君臨した。
たのきんトリオ同様、ドラマ「3年B組金八先生」の生徒役として大ブレイクした彼女は、幼少期より「劇団いろは」に所属し、演技者としてのキャリアを積み重ね、既に大物の予感を漂わせていた。そんな彼女が、アイドル歌手としてのデビューの罠にはまるのは当然の成り行き。ただ、彼女の個性をレコードに刻み込むには、相当ドラスティックな発想の転換が必要だったに違いない。そこで登場するのが、ベルウッド・レコードを育てた大プロデューサー、三浦光紀である。意表を突く彼のプロデュース術、特に作家陣の選択がなかったら、ここまで成功したレコードが作れたであろうか。
80年、徳間音工(当時)系列に新規設立されたジャパンレコードは、従来の日本のポップスと一線を画す実験的な制作ポリシーを貫き、音楽業界に新鮮な驚きを与える存在となった。制作陣の1人として迎えられた三浦光紀はまず、当時YMOのサポートとして活躍し、新たなファンを大量に獲得した矢野顕子を抜擢、CMソングとなった「春咲小紅」を大ヒットさせる。その波に乗って手がけたのが、伊藤つかさのデビューシングル「少女人形」だ。9月1日リリースされた同曲は、またたくまにチャートを駆け上り、最高5位にまで達する。
同曲の大ヒットと切っても切れない言葉、それは「労働基準法」である。当時14歳だった彼女は、この掟のため、21時より生放送が行われていた人気番組「ザ・ベストテン」への生出演を1度も行うことがなかった。しかし、山口百恵だって、14歳のデビュー時にバンバンテレビに出ていたではないか(21時過ぎの生番組とは限らないが)。
後年、「労働基準法」はあくまでも生放送に出ない口実にすぎなかったと匂わせる発言をつかさ自身が行ったときは、なんか夢が壊れたなぁという印象を抱いた。そう、歌番組に出ないという行動は、彼女の歌手活動に神秘性を与える重要なファクターだった。事実、あがり症だった彼女といえども、キャンペーンは度々律儀に行っているし、高校で同級生だった熱烈なファンM君から、それらのイベントで行動を共にした劇団いろはの同窓生・つちやかおりを撮影した何枚かの写真をいただき、未だに持っているのは物証だ。
ともあれ、そんな神秘のヴェールに包まれつつ、「甘ったれた歌声」とか、ちょっと時が過ぎた頃には「ロリ声」と形容されることもあった歌唱は、当時の中高生男子の多くを覚醒させ、アルバムへの期待を大いに加速した。何せアルバムチャートのトップという崇高な土壌が受け入れた若手女性歌手なんて、松田聖子がやっとという、そんな時代にである。
アルバムの1曲目は、当時ジャパン専属のアーティストでもあり、「ランナウェイ」などCM絡みのヒット曲作曲で乗りに乗っていた井上大輔による「ふたりぼっち」。歌い出しからして「あれ、レコード間違えたかな?」という既聴感にドキッとしてしまうが、その後の展開はさすがに職人技だし、1曲目らしいインパクトも十分だ。続いて、南こうせつ作曲による大ヒット曲「少女人形」。その後も、水越恵子、天野滋、伊藤薫ら所謂ニューミュージック勢がクオリティの高い作品を提供し、抜群の安定感がある。なかでも吃驚させられるのは、安井かずみ・加藤和彦のコンビによる「わたしの友だち」だ。アルバムの流れを突然異次元へと傾けてしまう清水信之によるアレンジもヤバいが、これぞ役者魂としか言いようがない歌唱を聴いてほしい。彼女の歌唱にネガティヴな形容を与える気が、一気に失せてしまうはずだ。もちろん、歌詞カードに何点かのイラストを寄せている彼女に、やる気のなさなんて感じられるわけはない。
翌年3月、わずか5ヶ月というインターバルを経てリリースされたセカンドアルバム『さよなら こんにちは』では、この「わたしの友だち」路線から一歩踏み込み、よりニューウェイヴ色を強めた音作りへと接近する。大貫妙子、原由子、矢野顕子、竹内まりや、坂本龍一、高橋幸宏ら、錚々たる面子が作品を提供するなか、自らの作詞作曲による、打ち込みを使用したコンパクト・オーガニゼーション的とでも言えるポップス「彼」が異彩を放っている。
つかさにまつわる都市伝説めいた話の1つに、ラジオで好きな音楽は何と訊かれた際、キャバレー・ヴォルテールとかスロッビング・グリッスルといった、相当尖った英国オルタナ勢の名前を挙げていたというのがある。確かにこの2組のレコードの日本盤は、当時英国のラフ・トレードと独占契約を結び、一部のファンを狂喜させていたジャパンが発売していたし、彼女がサンプル盤をもらって愛聴していても一切不思議ではないのだが。この辺りのセンスを、アレンジを担当した清水信之は受け止めたのかもしれない。歌詞にあるジミーとは、まさかジミー・パーシーのことではないだろうな。
「労働基準法に囚われた少女」というイメージが消え去った後も、マイペースにレコードリリースを重ねたつかさだったが、ほとんどのオリジナルアルバムのCD化は2010年代になってからと、再評価には時間を要した。彼女の孤高な佇まいは、喧騒に満ちた現在のアイドル界から捉えると、清涼剤としか言いようがない。
伊藤つかさ「少女人形」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』3タイトルが2017年5月に、その続編として、新たに2タイトルが10月に発売された。