日本と英国のロック史の明暗を分けたチャック・ベリー!?
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本日10月18日は、ロックン・ロールのパイオニアのひとりチャック・ベリーの誕生日。昨年(2017年)3月18日に90歳の生涯を閉じているので、御存命ならば92歳の誕生日を迎えたことになる。1926年10月18日 午前6時59分、米国ミズーリ州セントルイスで生まれたチャック・ベリー(本名チャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー)は、6歳のときから教会の聖歌隊で歌いはじめ、ハイスクール時代にギターをマスター。学校のグリークラブのレヴューで「コンフェッシン・ザ・ブルース」を演奏したのが初舞台だったという。
ハイスクール卒業後、大工だった父親の仕事を手伝う傍ら地元セントルイスのクラブ等で演奏活動をしていたが、意を決してシカゴに向い、敬愛するマディ・ウォーターズのバンドに参加。マディからチェス・レコードの創業者レナード・チェスを紹介され、ローリング・ストーンズのインスト曲のタイトルでも知られるシカゴの南ミシガン通り2120番地にあるチェス・スタジオで初レコーディングの機会を得た。そして、このときレコーディングされたオリジナル曲4曲のなかから選ばれた「メイベリーン」で、55年7月にレコード・デビューを飾るのである。
記念すべきデビュー曲は全米チャート第5位(R&Bチャート第1位)まで上るヒットとなり、以後「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」(56年/全米29位・R&B2位)、「スクール・デイズ」(57年/全米3位・R&B1位)、「ロックン・ロール・ミュージック」(58年/全米8位・R&B6位)、「スウィート・リトル・シックスティーン」(58年/全米2位・R&B1位)、「ジョニー・B・グッド」(全米8位・R&B2位)…と、立て続けにヒットを放っていく。
「もし、チャック・ベリーが存在していなかったら?」「ロック・バンドがアンコールで演奏する曲がなくて困る」というギャグがあったが、実際、彼がいなければ、彼の作品のコピーからスタートし、「カム・オン」でレコード・デビューしたローリング・ストーンズや、そのギター奏法から“車、女の子、学校”といったティーンエイジャーの関心事を盛り込んだ歌詞までチャック・ベリーを踏襲したザ・ビーチ・ボーイズなどが誕生していたかどうかも疑わしい。
ビートルズを筆頭に64年からアメリカの音楽市場を席巻した英国のビート・グループ勢のほとんどは、チャック・ベリーの楽曲をレパートリーに取り入れているし、その後も彼の作品は世界中のミュージシャンたちによって演奏され続け、無数のカヴァー・レコードが作られている。現在でも「ジョニー・B・グッド」をアンコール・ナンバーにしているバンドのなんと多いことか! 60年以上も前に誕生したチャック・ベリー・ナンバーの数々は、時代を超えてアピールし続ける不滅のパワーを秘めているのである。
日本で「ジョニー・B・グッド」をアンコールの定番としているアーティストというと、すぐに思い浮かぶのが内田裕也さんだが、実は日本で最初にチャック・ベリー作品のカヴァー・レコードを発表した歌手が彼なのだ。彼が64年7月にリリースした5作目のシングル「ラスベガス万才」(エルヴィス・プレスリーのカヴァー)のB面に収録された「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」の日本語カヴァーがそれである。
ただ、その発売時期から察するに、これは当時ビートルズ・ヴァージョンがラジオ等でヒットしていたことを意識しての収録かと思われる。実際にユーヤさんがプロのロカビリー歌手としてキャリアをスタートした1960年頃から、チャック・ベリー作品をステージ・レパートリーにしていたのかどうか知る由は無いが、海の向こうでチャック・ベリーがヒットを連発していた1958年にロカビリー・ブームが巻き起こった日本において、エルヴィスやジーン・ヴィンセント、リトル・リチャードなどをカヴァーする歌手は多かったが、筆者の知る限りチャック・ベリーに関しては皆無に等しかったと思う。
チャック同様に自作曲をギターを弾きながら歌い、間奏ではギター・ソロも披露するというタイプのバディ・ホリー、エディ・コクランもロカビリー・ブーム期の日本では一切無視されており、当時エディ・コクランのバラード曲「バルコニーに座って」を除いてカヴァー・レコードも作られていない。私見としては、これが同時代にティーンエイジャーたちがこぞってバンドを結成してチャック、バディ・ホリー、エディ・コクランの曲をカヴァーしていた英国との大きな差であり、日本と英国のロック史の明暗を分ける重要なファクターだったのではないかと思うのだが…。
当時の“動く”チャック・ベリーを観た数少ない日本人のひとりとして故・井上堯之さんがいるが、1960年8月に日本公開された『ニューポート・ジャズ・フェスティバル』のドキュメンタリー映画『真夏の夜のジャズ』で、チャック・ベリーを初めて観た中学生の井上さんは、「ギターを弾きながら歌う」というスタイルにとても感銘を受け、「それまで日本でギターを弾きながら歌う歌手というと田端義夫さんぐらいしか知らなかったけど、チャック・ベリーはロックのビート感をギター1本で表現し歌うという全く新しいアプローチだった」と語っている。当時この井上さんと同じ感動と衝撃を共有し、ギターを手にするティーンエイジャーがもっと多数出現していたら、その後の日本の音楽シーンは確実に違うものになっていたことだろう。
【著者】中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。最新著は『エッジィな男 ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)。