本日11月19日は松崎しげるの誕生日。69歳となる

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抜群の歌唱力と明るく陽気なキャラクター、そして「コーヒー豆」「南国ピーナツ」のあだ名を持つ褐色の肌がトレードマーク。本日11月19日は歌手・松崎しげるの誕生日。1949年生まれなので、何と69歳を迎える。

松崎しげるといえば、77年の大ヒット「愛のメモリー」で知られるが、それ以前のキャリアは長く、1968年、日大芸術学部文芸学科在籍時代には日高富明、堀内護とともに「ミルク」というバンドを結成している。日高、堀内はその後GAROを結成する2人でもあるが、メンバーは流動的で、冬には「ホットミルク」夏には「アイスミルク」などとバンド名を使い分けるなどユニークなバンドであった。彼らは当時、大橋プロダクションでマネージャー業をしていた宇崎竜童にスカウトされ、プロ・デビューを果たしている。

松崎はその後ビクター音楽産業のオーディションに合格、70年に阿久悠作詞、鈴木邦彦作編曲の「8760回のアイ・ラブ・ユー」でソロシンガーとしてデビューを果たした。71年には3作目「君は何をおしえてくれた」(阿久悠作詞/小林亜星作曲)がグリコアーモンドチョコレートのCMソングに起用され、これ以降グリコのCMシンガーとして、その声がお茶の間に流れることになった。スマッシュ・ヒットした72年の5作目「黄色い麦わら帽子」(ちあき哲也作詞/中村泰士作曲)、76年の「私の歌」(喜多條忠作詞/都倉俊一作曲)といずれもグリコアーモンドチョコレートのCMソングである。リスナーは最初、グリコのCMを通してまず松崎の「声」を耳にしていたことになるのだ。

本日11月19日は松崎しげるの誕生日。69歳となる
本日11月19日は松崎しげるの誕生日。69歳となる
松崎しげるは伸びのある声と豊かな声量、抜群の表現力を持ったシンガーで、布施明や尾崎紀世彦らに続く、日本では数少ない本格派のポピュラー・シンガーとして期待されていた。だが、「黄色い麦わら帽子」以降ヒットはなく、不遇の時代が続いた。その期間には西田敏行とともに即興で歌を作って歌う流しのような活動をしていたというが、それが話題になり、75年には西田とともにTBSのTV番組『ハッスル銀座』に起用され注目を集めた。

翌76年、スペインのマジョルカ音楽祭に「愛の微笑」で出場し、同大会で2位となり、最優秀歌唱賞を獲得。だが、日本では全く話題にならず、スケールの大きな楽曲ながらその難しさからシングル発売には至らず、アルバム『私の歌・俺たちの朝』に収録される。

だが、松崎と懇意にしていた関西のテレビ・プロデューサーがこの曲に興味を持ち、プロデューサーの意向でグリコアーモンドチョコレートのCMに起用。松崎にとってはホームグラウンドともいえる同商品のCMソングでもあり、CM映像は山口百恵と三浦友和の共演もあって話題を呼び、歌詞を一部変えて「愛のメモリー」として77年8月10日にリリースされる。「愛のメモリー」はまたたく間にチャートを駆け上がり、オリコン・シングル・チャート2位まで上昇する大ヒットとなり、松崎の代表作として現在まで親しまれる曲となった。ちなみにこの曲で同年のNHK『紅白歌合戦』にも初出場を果たしたが、この時応援で駆けつけたのが、不遇時代の盟友・西田敏行であった。

本日11月19日は松崎しげるの誕生日。69歳となる
「愛のメモリー」の大ヒットの印象から、ポピュラー・シンガー的に思われる松崎しげるだが、この時期は自身のバンドである「パイン・トゥリー・ファミリー・バンド」を率いて活動しており、前述の「愛の微笑」を含むアルバム『私の歌・俺たちの朝』のバックは彼らの演奏によるもの。メンバーには林哲司も在籍し、大橋純子の美乃家セントラルステイションとの交流も深かったそうで、その音楽性の高さにも注目したい。78年には現在、和モノDJ周辺で熱い注目を集めている筒美京平作編曲による和製フィリーの傑作「銀河特急」や、市川崑監督による手塚治虫漫画の実写化『火の鳥』の同名イメージソング(ミシェル・ルグラン作曲)を発表。79年には今や手使海ユトロの名で大活躍の小笠原寛の編曲、ザ・ワイルド・ワンズの植田芳暁がコーラス/アレンジを手がけた「WONDERFUL MOMENT」や同名のアルバムなど、AOR、シティ・ポップの文脈で愛される佳曲群もリリース、耳の超えた音楽ファンにこの時期の作品が次々と「再発見・再評価」されている。

本日11月19日は松崎しげるの誕生日。69歳となる
一方では、やはり79年に発表した西武ライオンズの球団応援歌「地平を駈ける獅子を見た」も西武ファンの間で未だ愛されており、その歌唱パワーとスケールの大きさが、長い年月に渡って親しまれる理由なのだろう。

本日11月19日は松崎しげるの誕生日。69歳となる
松崎しげるは俳優・タレントとしても人気が高いが、そのきっかけとなった作品が、彼のコミカルな味が最大限に発揮された『噂の刑事 トミーとマツ』だ。大映ドラマ制作、79年からTBSで放送された同作は、ハチャメチャな内容ながら松崎演じる刑事マツと、若手刑事トミー役の国広富之との、息もぴったりの掛け合いが大人気となった。同作は日本の刑事ドラマにおける元祖バディものとして、その後の『あぶない刑事』や『相棒』への流れを作った画期的な作品でもあるのだ。

だが、ここでは1本だけ毛色の違う俳優・松崎しげるの出演作を紹介しておきたい。同じ79年に工藤栄一が監督した東映映画『その後の仁義なき戦い』がそれで、ここでの松崎は根津甚八、宇崎竜童ともに若いチンピラ役を演じており、通常のコメディ演技とは異なるシリアスな表情をみせている。しかも、その後ヤクザから歌手に転向し成功するという役どころ。さらに、自身をスカウトした宇崎竜童との共演というおまけ付きで、この映画の中では、宇崎抜きのダウン・タウン・ブギウギ・バンドをバックに、自作曲「セクシー・ベイビー」を歌っており、そのシーンには感慨深いものがある。

松崎しげる「8760回のアイ・ラブ・ユー」「君は何をおしえてくれた」「愛のメモリー」『火の鳥』「地平を駈ける獅子を見た」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)がある。
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