【大人のMusic Calendar】
『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』(Alfa ALR-6033)は、1980年2月21日に発売されたYMOの3rdアルバム、そして初のライヴアルバムである。
新曲を含まない盤であるにも係わらず、ブレイク前作2nd『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に次ぎオリコン1位になり、その勢いを示した。さらにこの盤は、その後のYMOサウンドの予言になったのである。
79年10&11月、第1回ワールドツアーのヴェニュー(ロンドン)、グリーク・シアター(ロサンゼルス)、ボトムライン(ニューヨーク)三公演を収録。最後に「バック・イン・トキオ」と79年12月中野サンプラザで行われた凱旋公演のMCが入る。サエキは9月中野サンプラザ・ホールで行われたチューブスのフロントアクト公演を目撃した。
松武秀樹の他に矢野顕子も参加したツアー重要メンバーにギターの渡辺香津美がいる。この盤の最大のトピックは、当時渡辺が所属していた日本コロムビアが収録を拒否したため、ギターのチャンネルがカットされたこと。それは後にダビングされた坂本龍一のシンセサイザーに置き換えられた。
これが日本の軽音楽史上、分かれ目ともいうべき重大事であることを僕が悟ったのは昨2018年暮れのことである。
18年11月4日(日)に放送された『RADIO SAKAMOTO』ではゲストに高橋幸宏が出演、仲の良い昔通りのリラックスしたお喋りで、高橋のソロデビュー・アルバム『Saravah!』のヴォーカルパートの全編新録を行った『Saravah Saravah!』について歓談された。
78年6月発売の「Saravah!」は、その11月発売YMOの1stに先がけた録音。B面1曲目「ELASTIC DUMMY」は、坂本龍一作曲で、ベースも細野晴臣が務め、インストゥルメンタルであるということから、ファンにとっては、YMOのプロトタイプ曲と認識される曲である。その録音に際し起こったという忌憚ないエピソードにノケぞった。
最初「セーノ」でリズム録りをした同楽曲を、いまいち面白みが出ないということで、クリック(=リズムボックス)に合わせて録り直そうということになった。しかし山下達郎のライヴ・セッションでも有名なギターの松木恒秀が、猛反対したと。坂本は、フュージョン、ジャズのミュージシャンはキッチリと後ろのりであり、リズムは正確なのだが、当時は行われていなかったジャストなクリックに合わせるというセッションが生理的に大嫌いだったと分析。ジャズ・ミュージシャンはバック・ビートが身体に染みついているということ。フュージョンの本質とはこの後ろノリにあり、テクノ・ファンにとってYMOの音楽がフュージョンと言われると異和感があったのは、PCとも競演するジャスト・ビートにあったのだ、と氷解した。
イヤイヤながら楽曲に臨んだ松木も、リズムボックスに合わせて生まれ変わった「ELASTIC DUMMY」の斬新な出来を絶賛したというから、胸をなで下ろした。
この曲は前述のようにコンピュータとセッションして生まれたYMOの1st『イエロー・マジック・オーケストラ』の前哨戦で、「ELASTIC DUMMY」でジャスト・リズムに目覚めた3人が、さらにコンピュータにより制御された音群と生音のセッションで1stが生まれたという経過となった。つまり、YMOテクノ・ポップはジャスト・リズムを生音で導き出す超絶テクニックの3人に、さらにコンピュータ音が加わって生まれたサウンドといえる。高橋幸宏を中心とする生音の比率が高いのが、クラフトワークとの違いとなる。
ところでYMOが79年9月に2ndでブレイクする6月、坂本龍一は『KYLYN』を渡辺香津美と共作している。この盤が興味深いのは、A面が村上ポンタ秀一ドラムによるフュージョン勢の録音、B面が高橋幸宏ドラムによるテクノ勢による録音ということ。A、B面ではっきりとノリが違うことは当時のファンも認識できたはず。しかしそれが何なのか? 説明できずモヤモヤしていた人もいたと思う。これで説明できる。A面はフュージョン的バック・ビート、B面はテクノ的ジャスト・リズムの面ということ。世界でも珍しい、フュージョンVSテクノの競演盤だ。
渡辺香津美は、フュージョンとテクノを行き来した希有なギタリストとなった。78年10月のYMOの最大プロトタイプといえる坂本龍一『千のナイフ』にも全面参加。日本のテクノ・ポップ誕生に貢献した坂本の盟友。それだけにテクノ・ファンの愛着もひとしおだった。YMOツアーでの演奏にはみな胸を熱くしていた。テクノリズムに生身のユラギを持つギターで挑んだその緊張感、松木も嫌がった困難なリズム合わせを果敢にこなした。その壮絶なプレイは結局、後にギター収録を許された同ツアーライヴ盤『フェイカー・ホリック』(1991年)などで聴くことができる。盟友同士の成果「ジ・エンド・オブ・エイジア」の官能的なギターソロと共に、「中国女」や「コズミック・サーフィン」などで超絶テクのバッキングが聴ける。
そこにはフュージョンとテクノの融合の夢がまさしくあった。70年代末の話である。しかし、この盤で渡辺のギターカットにより、その夢は重要なタイミングで断裂してしまった。
後に我々は、クラフトワークやYMOのテクノ・ポップを、マイケル・ジャクソンなど黒人が好むという不思議な事実を知ることになる。もしこの時点で、渡辺香津美とYMOの決裂が起こらなければ、黒人音楽を継ぐ新しいフュージョン、ジャズの新形態として、テクノ的なフュージョンがリアルタイムに発展したように思えてならない。
さて1980年初頭、たった2日間でギターとシンセサイザーの差し替えは行われた。できあがったのは、あっけらかんとした、しかし鮮やかなシンセサイザーとドラム、YMO3人の本義の編成による空間だった。それを発売時に聴いた我々は「空間がカッコいい、これが本来のYMOなのかも?」とも思った。
YMOの1stは「キャッチアップ・フュージョン」という帯コピーでスタートした。しかし、ギターをカットしたライヴ盤で、YMOはフュージョンとの訣別を果たしたと言える。
日本ポップス史において、フュージョンのフィールドに受胎したYMOテクノ・ポップの、力強い完全独立宣言となった。さらにそれはギターを全く使わずに録音、テクノ音楽を突き詰めた『BGM』『テクノデリック』の鮮やかすぎる予告となったのである。
【著者】サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2010年、ハルメンズ30周年『21世紀さんsingsハルメンズ』『初音ミクsingsハルメンズ』ほか計5作品を同時発表。2016年パール兄弟デビュー30周年記念ライヴ、ライヴ盤制作。ハルメンズX『35世紀』(ビクター)2017年10月、「ジョリッツ登場」(ハルメンズの弟バンド)リリース。中村俊夫との共著『エッジィな男ムッシュかまやつ』(リットー)を上梓。2018年4月パール兄弟新譜『馬のように』、11月ジョリッツ2nd『ジョリッツ暴発』リリース。