【大人のMusic Calendar】
2月18日は森園勝敏の誕生日。65歳になる。
1970年代前半、日本のロックの黎明期、東京にはたくさんの若いバンドがうごめいていた。プロになるということがどういうことなのかはわからなかったが、彼らはひたすらライブに明け暮れていた。森園勝敏もそのひとりである。ドラムの岡井大二と組んだバンドで活動を始め、次第に頭角を現した。バンド名は四人囃子と名付けられた。そして1974年、実質的な1stアルバム『一触即発』で衝撃のデビューを果たす。日本のプログレッシブ・ロックの草分けとして歴史に残る本作は、フロントマンの森園が二十歳そこそこの頃にリリースされたものだった。
同時代から東京の音楽シーンで活躍していたCharが四人囃子を初めて見たのは日比谷野音だった。
「噂では聞いてたんだけど、俺もブリティッシュというか、それに限らずプログレッシブと言われてるものが好きだったから、(四人囃子は)それを日本語でやってて、テクニック的にもまとまってて、びっくりしたよ。それまでバンドっていうのは先輩の世代だから、言葉は悪いけどグループサウンズの残党であるとか、生き残った人たちであったりするから、どこかブルース系か叩き上げ。俺たちはちょうど世代の変わり目だと思うんだよね」
その四人囃子も一朝一夕で出来上がったわけではない。ベンチャーズを聴いてエレキ・ギターを始めた森園だったが、中3の頃にはブルースに目覚め、クリームやジミ・ヘンドリックス、マイク・ブルームフィールドなどを聴きまくっていた。バンドメンバーはなかなか見つからなかったが、なんとか組んだバンドで高校一年か二年でヤマハのコンテストに出た時、予定していたドラマーのトラ(代役)としてやってきたのが岡井だった。
「バンド組むこと自体が、組んで続くこと自体が珍しいというか。自分がこういう音楽やりたいからこいつと組もうとか言ってられないわけですよ。とにかくまずできる人を探すだけで大変で。例えばドラムの人がピンク・フロイドとか僕があまり聴いたことのないものを好きだとしたら、ピンク・フロイドと俺が好きなクリームをバーターでやるとか。どこでもそうでしたよ」と森園は言う。
それから森園は岡井とセッションに明け暮れる。
「ずっと大二とふたりでやってたわけ。できる人がいないんで。大二の家に行くと、あいつすぐにピンク・フロイドをかけて一緒にドラムを叩き出すから、僕はすぐ寝ちゃうわけ。最初の頃はいつもそうだった。それが寝てるうちに刷り込まれて(笑)。ピンク・フロイドは特に『神秘』とかそこら辺が好きなんですよね」
やがてメンバーも増え、四人囃子の形が整う。そして、73年、バンドにプレ・デビューの話が舞い込んだ。所属の東宝レコードの親会社、東宝で制作される映画『二十歳の原点』のサウンドトラックを録音することだった。その仕事をこなせば、好きなことをやっていいという条件付きだった。翌年、彼らは『一触即発』のレコーディングを始める。森園によれば初めての経験の連続だったようだ。
「『二十歳の原点』を録った時に、ポリドールのスタジオで2日ぐらいで十何曲録らされて、ペシペシの音しか出せないわけ。ちょっと歪ませようとすると、“ギターの人、音が割れてるよ”と言われる時代ですから。けっこう途方に暮れたんです。こんなペシペシの音でしか録れなくて、どうやって思ったような音作るんだろうって思ってた。なんで『一触即発』の時にはあんな音になったかよく覚えてないんだけど、その時は大二がすごく考えてて、スタジオに入って初めて〈一触即発〉って曲を5ピースに分けて録ると初めて聞かされた。何それ? って思ったら、編集するっていうんだ。その発想がピンと来ない。実は〈一触即発〉なんて、最初は40分くらいあったんだ。よくコンパクトにまとまったもんだと自分でもびっくりするよ。ああいうところは大二の整理整頓能力のたまもの」
そうやって出来上がった『一触即発』を当時Charも耳にしている。
「アルバムの完成度はかなり高い。当時はレコード出すことすらおおごとだったうえに、スタジオ・クラフトっていうところに立ってものを考えられない時代だったから。俺はスタジオ・ミュージシャンをやってたから、遊び方はけっこう知ってたんだけど、バンド単位でレコードをひとつのクラフトとして考えるというのは、先行ってるなと思った」と言う。
それは、東京の音楽シーンにうごめいていた多くのバンドのひとつがたまたま作り上げた一枚にすぎないのかもしれない。しかし、実際『一触即発』は大きな反響を呼び、のちのちまで名盤として語り継がれることになる。卓越した演奏能力、スリリングな構成力、斬新なアートワークなど、手探りながら若さと実験精神に満ちた傑作だった。そしてそれは若き森園勝敏の、そして日本のロック史の産声だったのである。
四人囃子『一触即発』『二十歳の原点』ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】野口広之(のぐち・ひろゆき):1963年、山梨県出身。1998〜2014年までギター・マガジン編集長。現在は、音楽関係の書籍、ムック等を手がける。趣味はトレイルランニング。