3月28日はレディー・ガガの誕生日~ネーミングのきっかけはクイーンの曲から

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3月28日はレディー・ガガの誕生日~ネーミングのきっかけはクイーンの曲から
レディー・ガガの、主演映画『アリー スター誕生』からのブラッドリー・クーパーとのデュエット曲「シャロウ」は、第91回アカデミーで主題歌賞を獲得した。その授賞式でのパフォーマンスの反響もあって同曲は2019年3月9日付で彼女にとって通算4曲目、実に8年ぶりの全米第1位に輝き、キャリア何度目かの大きな頂きにたどり着く。00年代の終わりに登場し異彩を放った強烈な個性は、2010年代の終わりには、一過性の話題性だけで輝きを失う流れ星ではなかったことを証明したのだ。

そのデビューは鮮烈だった。08年4月に発表された「ジャスト・ダンス」で、私はまず短編TVドラマのように綿密にシーンが構成されたビデオ・クリップを通じ、時にアンドロイドのように振る舞う不思議なキャラクターを持つ彼女を知った。曲はというと、80sテイストを踏襲したエレクトロ・ダンス・ポップ風味が強く、その時点ではさほど新鮮には感じなかった。それが09年1月、ランクイン実に22週目で全米第1位に輝き、次の「ポーカー・フェイス」もNo.1、「ラヴゲーム」(第5位)、さらにドラマ性を高めショート・ムーヴィー的なビデオ映像が斬新だった「パパラッチ」(第6位)と、デビュー・アルバム『ザ・フェイム』からのヒットが間断なく続く。

本名ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ(86年3月28日ニューヨークのマンハッタン生まれ)は、ネット起業家を親に持つ裕福な家庭で育ち幼くしてピアノを学び、いわゆるお嬢様学校に通いながらも、周囲と馴染めず他者から拒絶され孤立し疎外感を受ける日々を過ごしたという。10代でパフォーミング・アートに目覚め、ニューヨークのクラブで活動を開始するがドラッグに陥り大学も辞めるなど、壮絶な思春期を送ったとされる。しかしその異才は早くから注目を受け、デフ・ジャム・レコーディングと19歳で契約し(そのころ生計を立てるためストリップ・クラブで働いていた)、ブリトニー・スピアーズやビヨンセに触発されスターを目指すことでドラッグ癖を断ち切る。インタースコープ・レコードとのソングライター契約に続き、エイコンのコンライブ・ディストリビューションとアーティスト契約を結んで、いよいよデビュー作に向かったのが07年であった。ステファニー・ジャーマノッタがレディー・ガガに変わったのは、当時創作を共にしていたプロデューサーのロブ・フサーリがヴォーカル・スタイルをフレディ・マーキュリーと比較し、クイーンの「Radio GA GA」を彼女のテーマ曲とみなし、彼から送られたメール文中の”Radio GA GA”の文字が自動修正機能によって”Lady GA GA”と表記されたのをとても気に入ったからだった。

そのフレディ・マーキュリーが在籍したクイーンに、デヴィッド・ボウイ、それにエルトン・ジョン、さらにはマドンナ、マイケル・ジャクソン、シンディ・ローパーら80sのメガ・スターたちからの影響を公言するガガの特質は、ソングライター、あるいはシンガーといった音楽面に留まらぬ総合的なパフォーミング・アクトであることだろうか。デビュー作の準備期間にすでに練られていたであろう。楽曲の魅力を複合的に表現する手法としてビデオ・クリップを宣伝ツール以上の表現物に仕上げることや、視覚体験を鮮烈に提供する、ときに奇天烈とも思える演劇的なライヴ演出といった戦略は、すべて彼女のパフォーミング・アーティスト<舞台芸術家>としての資質を反映したものだ。その道の先達には、もちろんマドンナなる稀代のスーパー・スターがいる。ガガはマドンナが拓いた地平のさらに奥へと分け入り、それを2010年代のデジタル・エイジらしい速度と密度で一気に格上げした偉大な後輩と呼べるだろう。『ザ・フェイム』を補完する意味合いも持った『ザ・モンスター』(09年)に続く第3作『ボーン・ディス・ウェイ』(11年)で、世界規模のメガ・スターの座に就いたガガは、デヴィッド・ボウイ/アンディ・ウォーホルへの共振を感じさせた13年のアヴァンギャルドな『アートポップ』(ウォーホルが広く伝播した概念がポップアート)から、ジャズ歌手として並ならぬ実力を刻んだトニー・ベネットとの『チーク・トゥ・チーク』(14年)を挟んで、16年の『ジョアン』まで休むことなく駆け抜ける。17年に線維筋痛症を公表し活動休止を余儀無くされるものの、ブラッドリー・クーパーとの『アリー スター誕生』によって、さらに映画というまた異なる表現世界での可能性を最大級の成果と共に示した。映画化4度目となる『スター誕生』が18年にガガによって実現したのは、彼女がジュディ・ガーランド(54年版)、そしてバーブラ・ストライサンド(76年版)の真の後継となる運命を示しているのであろうか。

【著者】矢口清治( やぐち・きよはる):ディスク・ジョッキー。1959年群馬生まれ。78年『全米トップ40』への出演をきっかけにラジオ業界入り。これまで『Music Today』、『GOOD MORNING YOKOHAMA』、『MUSIC GUMBO』、『ミュージック・プラザ』、『全米トップ40 THE 80'S』などを担当。またCD『僕たちの洋楽ヒット』の監修などを行なっている。
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