【大人のMusic Calendar】
本日4月15日は53年前の’66年に、ザ・ローリング・ストーンズにとっても転機になったアルバム『アフターマス』が最初に英国で発売された日だ。同タイトルながら、米国での音楽業界標準のやり方に合わせて一部選曲し直し、ジャケットも変更した米国編集版も同年7月2日にリリースされている。
転機の意味に関し、全曲ミック・ジャガーとキース・リチャーズによるオリジナルで占められた初の作品だからと語られることが多い。それも重要なのだが、すでに'64年暮れ以来、シングル曲の制作拠点となっていた米国ハリウッドのRCAスタジオで初めて全曲が録音されたアルバムだったという点も大きい。『アフターマス』はハリウッドでの“創造的”レコーディング作業の集大成作でもあり、その中で彼らは自身の音楽を、ブルース/R&Bの実直な継承者としてのそれから、よりポップで色彩豊かなものへと飛翔させることになったのだ。
≪65年の終わりから66年の夏にかけてRCAで過ごした日々には、たしかに意識して手を広げた部分もあった。たとえば1966年3月に録音してイギリスで6回目の1位を獲得した「ペイント・イット・ブラック(黒くぬれ)」だ。「ギターはやめた」と言ってマルチプレイヤーに変身していたブライアン・ジョーンズがシタールを奏でた。俺にとっても、それまでとはちがうスタイルだった。俺には「ハヴァ・ナギラ」やジプシーのリックに近い気がしたな。(中略)もうシカゴ・ブルースの演奏者じゃなかったし、少し翼を広げてメロディと曲想を生み出す必要があった≫(『キース・リチャーズ自伝 ライフ』)
RCAスタジオでのそんな作業は二人の米国人の手を借りて続けられてきた。一人はジャック・ニッチェ。フィル・スペクターの下でアレンジャーを務めていた人物だが、RCAでのストーンズの録音現場にも顔を出し、キーボーディストやパーカッションなどを担当することもあった。もう一人の重要人物は同スタジオのハウス・エンジニアだったデイヴ・ハッシンジャー。彼の存在感の大きさは、その妻のエピソードが「マザーズ・リトル・ヘルパー」に歌い込まれていることからもわかる。またこの作品での実験的レコーディングに手を貸した経験を買われてか、後に彼はジェファーソン・エアプレインやラヴ、そしてエレクトリック・プルーンズ、グレイトフル・デッドらのサイケデリックな録音現場に呼ばれるようになる。
セッションは'65年12月と翌'66年3月の2回に分けて行われており、第1次セッションでは英国編集盤の冒頭に収められた「マザーズ・リトル・ヘルパー」が、第2次では米国編集盤の冒頭ソング「黒くぬれ!」等が録音されている。どちらの曲にもシタールを思わせる弦楽器の音が入っているが、前者のそれはキースが12弦ギターをスライドで弾いたフレーズであったことが本人により明かされている(『Guitar World』2002年10月号)。後者はもちろんブライアン・ジョーンズによるシタール演奏。そこに先のジャック・ニッチェが「ジプシー・スタイル」のピアノを加え、オリエンタルなメロディを持つユニークな楽曲が完成した(米『Crawdaddy』誌'74年11月号)。短い期間にアイディアがどんどん進化していく彼らのクリエイティヴな勢いは、この2曲の間の発展プロセスからも窺い知ることができる。
ブライアンはこの他にもマリンバ(「アンダー・マイ・サム」「アウト・オブ・タイム」)や、フォーク歌手のリチャード・ファリーニャの音楽に魅せられたことから取り入れたというダルシマー(「レディ・ジェーン」「アイ・アム・ウェイティング」)を見事に弾きこなし、ギター以外の楽器で音色をより豊かにするような貢献が目立つ。それ以外にも、「ゴーイン・ホーム」後半のミックの見事なヴォーカル・パフォーマンス、ビル・ワイマンが弾くファズ・ベースの突進力(彼は「黒くぬれ!」の元になるアイディアも提供している)、チャーリー・ワッツのより強力になったバック・ビートとタムを効果的に使った表現力! そして「フライト505」のイントロでの、結成時のキーボーディスト、イアン・スチュワートのソロでのブギ・ウギ・ピアノまで、各メンバーの経験と創造力の集大成作でもあったのだ。
【著者】寺田正典(てらだ・まさのり):兼業系音楽ライター。1962年生まれ。『ミュージック・マガジン』編集部、『レコード・コレクターズ』編集部~同編集長を経て、現在は福岡県在住。著書は『ザ・ローリング・ストーンズ・ライナー・ノーツ』(ミュージック・マガジン刊/2014年)。