本日4月29日はミック・ロンソンの命日~デヴィッド・ボウイを輝かせた名バイプレイヤー

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4月29日はミック・ロンソンの命日である。デヴィッド・ボウイがグラム・ロックをやっていた時代のバンドのギタリストとして知られる人だが、ただのギター弾きに留まらない不遇の音楽家だったことは、今年日本公開もされたドキュメンタリー映画『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』でもわかる。


1946年5月26日にイングランド北東部で生まれたロンソンはバンド仲間のつてでボウイと活動を共にするチャンスを得て、『世界を売った男』(1970年)から『ピンナップス』(1973年)までのボウイの5作のアルバムに、ギタリスト/アレンジャーとして参加。ライヴでも大活躍し、最も華麗なヴィジュアルだった頃のボウイを引き立てつつ“ツー・トップ”と言えるほど華があり、ボウイの性的なステージ・パフォーマンスも引き出す。ロンソンがボウイの隣で輝いていたミュージシャンであることは間違いないが、当時のボウイを輝かせたミュージャンであることも確かだ。



ボウイがバック・バンドを一新した後のロンソンは、ソロ・アルバム『Slaughter On 10th Avenue』(1974年)と『Play Don't Worry』(1975年)を立て続けにリリース。ギター以外の楽器も演奏してリード・ヴォーカルもとり、英国チャートの上位に入るリアクションを得る。まもなくボブ・ディランのツアーに参加し、ロンソンも一時在籍したモット・ザ・フープルのヴォーカルのイアン・ハンターのソロ活動もサポートしていった。



子どもの頃にピアノやヴァイオリンなどを習っていたロンソンは楽譜が読めるほど伝統的な音楽の素養も豊かで、曲を仕上げていく過程にも才覚を発揮。プロデュースの仕事も特筆すべきで、ルー・リードの1972年のセカンド・ソロ作『トランスフォーマー』は、ボウイとの共同作業ながらプロデューサーとしてのロンソンのデビュー作かつ代表作になる。ルーの有名曲「ワイルド・サイドを歩け」のストリングスのアレンジャーとしても貢献し、気難しい毒舌家のルーもロンソンの仕事を高く評価。以降イアン・ハンターに加え、元バーズのロジャー・マッギンによる1976年の『Cardiff Rose』や、元セックス・ピストルズのグレン・マトロックが後にウルトラヴォックスやチャリティ活動で有名になるミッジ・ユーロらと組んだリッチ・キッズの1978年の『Ghosts Of Princes In Towers』もプロデュースする。

だがミュージシャンとして器用に映るロンソンも世渡りは上手くなかった。80年代に入ってからも音楽を続けていたが、ロック・スターど真ん中のルックスながら職人肌で、活動ぶりは地道を通り越してあまりにも地味だった。ボウイのバンドのギタリスト時代の派手なイメージが災いして声が掛からなかったのか、音楽業界で幅を利かすエゴの強いアーティストとは対極の性格ゆえか。前述のドキュメンタリー映画でお金に苦労した話を奥さんが何度もこぼすほどの状況だった。

そんなロンソンの“節目”は肝臓癌と診断された90年代の初頭に訪れる。余命を告げられて死期を悟ったかのように“覚悟”を決めて活動を加速させ、1992年のフレディ・マーキュリーの追悼ライヴにも参加。その前後には、ロンソン・ファンのモリッシー(元ザ・スミス)が同年に出した『ユア・アーセナル』をプロデュースする。ロンソン自身もギリギリまでサード・ソロ・アルバムの録音を行ない、他界1年後の1994年に『Heaven And Hull』というタイトルでリリースされた。ボウイやデフ・レパードのジョー・エリオット、プリテンダーズのクリッシー・ハインドなど幅広いジャンルから旧友たちが集っている。

享年46才。愛されたバイプレイヤーだった。

【著者】行川和彦(なめかわ・かずひこ):Hard as a Rockを座右の銘とする1963年生まれの音楽文士&パンクの弁護人。『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)、『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)、『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)を発表。

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