中日・松坂が「もう少しやりたい」と言う本当の理由
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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、7月16日の阪神戦で今季初登板、5回2失点と好投した中日・松坂大輔投手にまつわるエピソードを取り上げる。
「なかなか満足できる投球ではなかったけど、チームの連勝を止めずに良かった。自分でも力んでいるのがあった。(初登板は)何年やっても難しいものだなと改めて思った」(松坂)
16日、ナゴヤドームで行われた中日-阪神戦で、“平成の怪物”松坂がついに令和初登板を果たしました。背番号「18」の1軍初お披露目でもあります。
プロ21年目、現在38歳の松坂。新天地・中日に移籍、背番号「99」で再出発した昨季は6勝を挙げ、今季は開幕からフル回転……のはずが、春季キャンプ中、ファンに右腕を引っ張られ、右肩痛を発症。チームメイトたちから離れ、ナゴヤ球場でリハビリを続ける、孤独で辛い日々が続きました。
肩の状態を見ながらの、一進一退の調整で、復帰は大幅に遅れ、ようやく実戦登板を果たしたのが5月28日。筑後で行われたソフトバンク戦との2軍戦に先発、昨季の最終登板から、実に8ヵ月ぶりのことでした。
以降、2軍戦で計4試合に先発し、18イニングを投げ4失点、防御率2.00と好投を見せた松坂。その間、テーマに掲げたのは「昔のような勢いがなくなったいまのストレートを、どう活かすか」……たどり着いたのが、緩急を駆使した投球スタイルでした。
バッターの手元で微妙に変化する“動く球”、ツーシームやカットボールでバットの芯を外し、スライダー、カーブ、チェンジアップで緩急をつけてタイミングを外したり、相手バッターによって投球間隔を変えるなど、投球術で抑える方向に舵を切ったのです。
1軍復帰登板となった阪神戦も、ストレートは最速142キロ止まり。4安打・4四死球を与えましたが、ランナーを許しても、多彩な変化球と緩急を駆使して、阪神打線を翻弄した松坂。4番・大山をはじめ、経験値の浅い阪神の若手選手たちは、ことごとく芯を外され、松坂を攻めあぐねました。
2-2の同点に追い付かれた3回、なおも2死満塁。ここで陽川をツーシームで見逃し三振に切ってとり、5回も2死二・三塁のピンチに、大山を内角への真っ直ぐでセンターフライに仕留め、窮地を脱しました。5イニングを91球、2失点で降板。
ベテランの奮闘に、6回以降は救援陣がノーヒットリレーで応えます。9回、アルモンテが押し出し四球を選んで、中日は今季2度目のサヨナラ勝ち。3年ぶりの6連勝で、阪神と並び3位タイ。4月以来のAクラスに浮上したのです。
サヨナラ勝ちの瞬間、ベンチでとびきりの笑顔を見せた松坂。自分に勝ち負けは付きませんでしたが、ここまで来られたのも、「松坂さん、待ってますよ」と年下のチームメイトたちが支えてくれたから。再びその輪のなかに入り、チームの勝利に貢献できたことが、何よりの喜びだったのです。
そしてもうひとつ、辛いリハビリの日々、心の支えになったのは“同世代への思い”でした。1980年9月生まれの松坂と学年が同じ“松坂世代”は、昨季、村田修一(栃木)、杉内俊哉(巨人)、後藤武敏(DeNA)、小谷野栄一(オリックス)、矢野謙次(日本ハム)が相次いでユニフォームを脱ぎ、現役でプレーする選手はわずかになりました。
そんななか、6月に1軍復帰を果たしたのが、左肩痛に苦しんで来たソフトバンク・和田毅です。初登板の相手はくしくも中日でしたが、そのときはまだベンチにいなかった松坂。
「投げている姿も見ていたし、嬉しいです。あらためて、自分も早く戻りたいという気持ちになりました」
と自分のことのように喜びました。
実は和田も、肩の状態が一進一退で、5月復帰の予定がいったん白紙に戻るなど、辛い日々を過ごしていたのです。そんなとき「肩の具合、どうなの?」と電話をくれたのが松坂でした。「この先生に診てもらったら?」と腕利きの医師を紹介したり、相談にも乗ってくれたそうで、松坂の励ましが、6月23日、巨人戦での今季初勝利につながりました。
まだ現役で頑張る同級生たちのためにも「僕はもう少しやりたい」と宣言している松坂。日米通算で170勝。現役を続けている限り、通算200勝も決して夢物語ではありません。
“平成の怪物”が、令和にもうひと花咲かせるか、次回登板も注目です。