8月19日は名アレンジャー・森岡賢一郎の命日~加山雄三をはじめ、昭和歌謡に果たした偉大なる功績

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【大人のMusic Calendar】

ちょうど1年前の2018年8月19日、昭和の歌謡曲史に大きな足跡を遺した作・編曲家の森岡賢一郎が世を去った。84歳であった。三男は元SOFT BALLETのキーボーディスト・森岡賢(2016年に49歳で逝去)、四男はギタリストの森岡慶で父親の才能を受け継ぎ、長女も現代美術家の森岡寿里という芸術一家である。1960年代中頃から歌謡曲の世界で頭角を現し、次々とヒット曲を世に送りだした。バイオリンを主とするストリングスを多用した瀟洒なアレンジに定評があり、“オリンの森岡”の異名をとったという。理知的な面持ちに長髪のいかにも音楽家然とした佇まいで知られ、1976年に愛川欽也と長門裕之が中心になって結成された同じ年生まれによる芸能界の親睦団体“昭和9年会”のメンバーでもあった。坂上二郎、大橋巨泉、藤村俊二、森岡と同年に亡くなった前田憲男に至るまで物故者が多く、今や天国の方が賑やかになっていることは時の流れを感じさせる。

熊本県八代市生まれの森岡は、熊本県立八代高等学校卒業後、音楽の道を志す。指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事しながら研鑽を磨き、秘めたる才能を発揮していった。そのままクラシック道を突き進んで現代音楽の世界で活躍する流れも自然であったはずだが、あえて大衆音楽の世界に身を置いたのは思うところがあったのだろう。スマイリー小原とスカイライナーズでピアノを担当したことから渡辺プロダクション関連の仕事が増えてゆき、最初に注目を集めたのは俳優・加山雄三の歌手としての大出世作「君といつまでも」である。1965年12月リリース。半年前の6月に出され、加山が弾厚作のペンネームで作曲した最初のヒット曲「恋は紅いバラ」も森岡による美しいアレンジがヒットの大きな要因となったことは間違いないが、「君といつまでも」にはそれをさらに凌ぐ秀逸なアレンジが施された。レコーディングの際、初めてスタジオでその音を聴いた加山が感激のあまりにもらした「幸せだなァ~」がそのまま間奏の台詞になったというエピソードは有名。同時期に出された園まり「逢いたくて逢いたくて」と共に、1966年の『第8回日本レコード大賞』で編曲賞を受賞している。

8月19日は名アレンジャー・森岡賢一郎の命日~加山雄三をはじめ、昭和歌謡に果たした偉大なる功績

「逢いたくて逢いたくて」は作曲の宮川泰が当初はアレンジも兼ねていたところ、森岡のアレンジがあまりに素晴らしかったため、やはりアレンジの名手であった宮川が“これは敵わない”と脱帽したという。「君といつまでも」に続いて加山が放った「蒼い星くず」「夜空を仰いで」「まだ見ぬ恋人」など一連のヒットも森岡の編曲。レコード大賞の編曲賞は1968年にも伊東ゆかり「恋のしずく」、森進一「花と蝶」で再び受賞しており、大賞受賞曲となった1967年のジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」、1969年の菅原洋一「今日でお別れ」はいずれも森岡の編曲によるものだった。それまではビクターの寺岡真三やコロムビアの佐伯亮ら、作詞家や作曲家同様にアレンジャーもレコード会社の専属作家が主流だった歌謡曲の世界へ一石を投じた。この時期にほかにも、ザ・ワイルド・ワンズ「想い出の渚」や、布施明「霧の摩周湖」、中村晃子「虹色の湖」、内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」などなど、GSに歌謡ポップスにムード歌謡と多種多彩。1970年代に入ってからも、小柳ルミ子「わたしの城下町」、堺正章「街の灯り」、郷ひろみ「よろしく哀愁」、梓みちよ「二人でお酒を」、テレサ・テン「空港」などのアレンジに健筆を揮った。どの曲も印象的なイントロがヒットの大きな要因になったとおぼしい。

8月19日は名アレンジャー・森岡賢一郎の命日~加山雄三をはじめ、昭和歌謡に果たした偉大なる功績

8月19日は名アレンジャー・森岡賢一郎の命日~加山雄三をはじめ、昭和歌謡に果たした偉大なる功績

8月19日は名アレンジャー・森岡賢一郎の命日~加山雄三をはじめ、昭和歌謡に果たした偉大なる功績

重要なポジションにも拘らず、作詞家や作曲家とは異なり印税契約の対象に非ずの立場の編曲家であったが、森岡には特別な措置が図られたそうで、それほどに大きな存在だった証拠である。優れたアレンジャーとして後に続く萩田光雄、船山基紀、馬飼野兄弟らに先鞭をつける形となった。編曲のみならず、作曲も担当した楽曲も多く、さらには『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』『宇宙からのメッセージ』『帰ってきた若大将』などの映画音楽や、『突撃!ヒューマン!!』『UFOロボ グレンダイザー』といったテレビ作品の劇伴や主題歌を担当したほか、カーティア・リッチャレッリのレコーディングや、サルバトール・アダモのコンサートのプロデュースなど外人アーティストも手がけた。本来のクラシック仕事では、新日本フィルハーモニー、N響団友オーケストラなど数々のオーケストラの指揮を手がけ、ピアニストとしてもバイオリニスト佐藤陽子とジョイントリサイタルを開催するなど、実に幅広い分野で活動を展開していた。

歌謡曲のバッキングを務めたり、インストゥルメンタル・アルバムを多数リリースした“ケニー・ウッド・オーケストラ”は森岡が率いていた楽団で、“ケニー”は賢一郎、“ウッド”は森岡と、その名前に由来するもの。なんといってもストリングスの美しい音色が映えるオーケストレーションは森岡アレンジの真骨頂であり、聴く者を魅了した。2013年には、古賀政男音楽文化振興財団が設立した大衆音楽の殿堂入りも果たしている。

加山雄三「君といつまでも」園まり「逢いたくて逢いたくて」ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」小柳ルミ子「私の城下町」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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