【大人のMusic Calendar】
1993年8月9日、松任谷由実の「真夏の夜の夢」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。ユーミンにとっては75年の「あの日にかえりたい」以来、実に17年ぶりの首位で、自身初のミリオンセラーを記録している。
「真夏の夜の夢」は93年7月26日の発売。89年6月28日リリースの「ANNIVERSARY~無限にCALLING YOU」以来、4年ぶりのシングルであった。ユーミンの場合、アルバムは年1枚、暮れに発売するというローテーションが確立されていた時期だが、シングルのリリースは不定期で、アルバム発売に先行してシングルを出す、というケースも少なく、例えば83年の『NO SIDE』や88年の『Delight Slight Light KISS』などはシングルを切っておらず、「ANNIVERSARY」から「真夏の夜の夢」までの間に発表された3枚のアルバムも、いずれもシングル・カットなし。このことからも、ユーミンはシングル曲をあまり重視していなかったことがわかる。ベスト盤は何種類か出ているものの「シングルコレクション」的なベストが出ていないのも、そのためだろう。
「真夏の夜の夢」はその中でも、明らかにシングル・ヒットを狙って作られたことが分かる曲だ。ユーミン得意のラテン・ベースの曲調をやや歌謡曲に寄せたメロディーで、「可愛い花」や「恋のバカンス」など、ザ・ピーナッツ的な雰囲気も感じさせる。AA’B-サビ、後半の転調など、曲構成やメロディーの運びもオーソドックスなもの。「覚えやすく馴染みやすいが、実際に歌ったり演奏してみると難しい」ユーミンの楽曲の中でも、飛び切り親しみやすい楽曲である。ミリオンセラー越えの大ヒットも納得だが、それ以上にユーミン作品としてはダントツにカラオケ需要が高い楽曲となった。それまで、時代の少し先を行く、洗練された音作りと世界観を築いてきたユーミンが、大衆的な方向に舵を切ったと思われた1曲だった。というより時代的にも、ユーミンが描く世界がようやく一般的に受け入れられるようになったのかもしれない。
ユーミンは初期からラテン音楽を自身の作品に取り入れることが多く、サンバを用いた「避暑地の出来事」「罪と罰」「輪舞曲」「太陽と黒いバラ」のほか、ブラジリアン・テイストの「ダイアモンドダストが消えぬまに」「TROPIC OF CAPRICORN」「110°F」、フォルクローレの「ハルジョオン・ヒメジョオン」「帰愁」「Take me home」、ボサノバの「曇り空」「あの日にかえりたい」「誕生日おめでとう」「巻き戻して思い出を」「Bonne annee」、ハウスとランバダを混ぜたような「恋の一時間は孤独の千年」、タンゴの「Bueno Adios」とかなりの数がある。その中でもラテンと歌謡曲の親和性の高さを踏まえた上で、大衆的なアプローチを試みて、下世話さスレスレの線を狙ったのが「真夏の夜の夢」だったのではないだろうか。ユーミン=松任谷正隆コンビの自在な引き出しの多さに唸るばかりの完成度である。
「真夏の夜の夢」はTBS系テレビドラマ『誰にも言えない』の主題歌でもあり、この曲の大ヒットは、高視聴率を取ったドラマとの相乗効果によるところも大きい。その1年前、同じTBSの貴島誠一郎プロデューサーによる『ずっとあなたが好きだった』の続編的な作品として作られているが、『ずっと~』は佐野史郎が演じたマザコン男・冬彦さんが社会現象になるほどの大ブームを巻き起こし、この『誰にも言えない』にも佐野のほか母親役の野際陽子、ヒロインの賀来千香子が続けて出演している。ちなみに『ずっと~』の主題歌はサザンオールスターズの「涙のキッス」だった。
また、同時期にリリースされたサザンオールスターズの「シュラバ・ラ・バンバ」、井上陽水の「make up shadow」(作曲は佐藤準のペンネーム彩目映)が相乗効果で3作とも大ヒットしたことも記憶に残る。ベテランのアーティストによるテレビドラマの主題歌という点も共通しているが、偶然にも3曲ともラテン・サウンドをベースにしていて、サザンの場合はラテン+ユーロビートといった印象もある。その中でも「真夏の夜の夢」はかなりシアトリカルな作風で、ライブ演出も念頭に入れたメロディーとサウンド作りをしている。
実際、この曲が最初にステージで披露されたのは、1993年7月23日から27日まで逗子マリーナ・ガーデンプールで開催された野外コンサート『YUMING SURF&SNOW IN ZUSHI MARINA VOL.12』。ライブの中盤でステージ中央の大階段が開き、中からクレーンが登場、その先端にしつらえた巨大ラフレシアに乗ったユーミンが、縦横無尽に動くクレーンの先端で歌うというド派手演出だった。その後も、彼女のステージでは幾度も取り上げられるナンバーとなり、印象深いところでは2007年の『シャングリラ3 ドルフィンの夢』。本編最後、円形ステージ内に設置されたプールからシンクロナイズドスイミングのスイマーが現れ、ユーミンはステージ中央に立ち噴水に囲まれて歌った。2011年の『ROADSHOW』ツアーではラテン・メドレーの一環として歌われ、2016~17年の『宇宙図書館』ツアーでは、エキゾチック度を増したアラビア風のアレンジで、「カリビアンナイト」を「アラビアンナイト」と歌い変えるなど、毎回凝った演出で観客を喜ばせてくれる。
さて、ここで触れておかなくてはいけないのが、カップリング曲。おそらくユーミンの全楽曲の中で最も名高いナンバーの1つである「真夏の夜の夢」のカップリングである「風のスケッチ」は、おそらくユーミン全楽曲のなかで最も知られていない曲ではなかろうか。地方博「TAMAらいふ21」のテーマ曲として作られた作品だが、オリジナル・アルバムにもベスト盤にも未収録のため、この8センチCDでしか聴くことができない。ステージでもおそらく一度も歌われていないはずである。薄めのバックによるスローテンポのシンプルなナンバーで、郊外の丘の上から見た風景が描かれ、春先の霞んだ家並を水絵の具が溶けるようと表現する、圧巻の描写が素晴らしい。美大生時代の思い出を歌った「悲しいほどお天気」に通じる世界でもあり、また八王子出身の彼女らしく多摩方面の郊外風景を取り入れたサバービア感覚は、荒井由実時代の名盤『14番目の月』に連なるものがある。2曲の知名度の極端な差はおいても、どちらの曲も、ユーミン世界の90年代アップデート版であったのだ。
松任谷由実「真夏の夜の夢」 ジャケット撮影協力:鈴木啓之
【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。