三山ひろしが明かす、演歌歌手を目指した時に背中を押してくれた母の言葉

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演歌歌手の三山ひろしが、5月18日(月)放送のニッポン放送「垣花正あなたとハッピー!」内のコーナー「ゲストとハッピー!」に電話で生出演。演歌歌手を目指す、三山の背中を押してくれた母のエピソードを明かした。

三山ひろしが明かす、演歌歌手を目指した時に背中を押してくれた母の言葉

小学生のときに両親が離婚し、祖父母・母・弟の5人で暮らしていた三山。貧しい家計を母親が女手一つで支えていた。そんな中、演歌が好きだった祖母の影響で三山はいつしか演歌歌手になることを夢見るようになり、25歳で上京を決意したという。

垣花正:三山さんは、演歌歌手の夢を目指そうと思った時に、お母さんが背中を押してくれたそうですね。

三山ひろし:そうなんです。その時、母が「一回しかない人生やったら、好きなことやらないといかんがね」って言ってくれて。その母の言葉がなかったら上京するキッカケにならなかったかもしれないですね。

垣花:やっぱり親孝行したいという気持ちは常にあったんですか?

三山:母は女手一つで育ててくれたので、本当はそばにいて欲しいっていう気持ちはあったと思うんです。だから上京した時は、『なんとかして歌手にならなければいけない』『ならなければ母に恩返しができない』っていう追い込まれた状況のなか、28歳でデビューしました。

垣花:三山さんは意外とデビューが遅かったんですよね。いまでは大人気の演歌歌手ですが、お母さんに恩返しできたなって思った瞬間はいつだったのですか?

三山:やっぱり「お岩木山」で2015年にNHK紅白歌合戦に初出場させてもらった時ですね。お母さんに恩返しができたし、何より僕を歌手にしたいと思っていた祖母にも恩返しができたと思います。やっぱり紅白歌合戦に出た時、祖母はすごく喜んでくれましたね。

垣花:三山さんはけん玉やドローンなど多趣味の印象がありますが、その辺りもおばあさんの影響ってあるんですか?

三山:作ったりするのはおじいちゃん(の影響)ですかね。祖父がもともと大工をやっていましたから、手先が器用だったんです。竹トンボも作りますし、竹でできるおもちゃとかお祖父ちゃんから学びましたね。

垣花:(三山自身も)すごく器用ですよね。テレビで見たんですけどドローンの操作もすごく上手でした。

三山:ありがとうございます。2019年に発売した「杉の大杉」のミュージックビデオは自分でドローンを飛ばして映像を撮りました。初監督・初メガホンを持たせてもらいましたよ(笑)

演歌や趣味など、多岐にわたって母や祖父母の影響を受けたという三山。番組の最後には、得意のけん玉で童謡「うさぎとかめ」を歌いながら、大皿に玉を乗せた状態から、中皿、大皿、中皿、大皿…と交互に玉を乗せかえる「もしかめ」という技を披露。ラジオのため、けん玉の音だけがスタジオに鳴り響くというなんともシュールな時間が続き「これ聴いている人に伝わってますか?」と苦笑いを浮かべた三山だった。

番組情報

スヴェンソン presents ゲストとハッピー!

毎週月曜 9:36頃

番組HP

ニッポン放送「垣花正 あなたのハッピー!」内で毎週月曜日9時36分頃に放送。
垣花正が様々なゲストを招いてお話を伺うゲストコーナーです!

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