キャスターの辛坊治郎氏が1月13日、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。フジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』の3月終了を発表した小倉智昭への敬服の念を表した。
「22年は、すごい。私は8年しかもたなかった」
フリーアナウンサー・小倉智昭が、自身がキャスターを務めるフジテレビ系情報番組『情報プレゼンター とくダネ!』の1月13日の放送で、3月26日の放送をもって番組が終了することを発表した。1999年4月の放送開始から22年の歴史に幕を下ろす。
辛坊)いやあ、小倉さん、よく朝の番組を22年もやりましたよね。
増山さやかアナウンサー)長きに渡りね。
辛坊)すごいわあ。私は基本的に月~金の帯番組って、最大でも8年くらいしか精神的にも体力的にも持たないので、私がかつて夕方のニュース(読売テレビ『ニューススクランブル』)をローカルでやっていたときは7年で辞めさせてもらって、逃げちゃったんです。限界でしたね。「ごめん、無理」って言って、おかげさまで視聴率最下位のところから立ち上げて最後はトップになったので、もうこれ以上ないやと思ったので辞めたこともありましたが。
その次、朝番組(読売テレビ『朝生ワイド す・またん!』)を帯でやったときは、8年。8年で、もう、ちょっと耐えきれなくなりましたね、心身ともに。もう限界、もう無理。それもおかげさまでどうにもならない最下位からスタートしてそこそこの数字になったので、もういいだろうというのもあったのですが。
増山)すごい。救世主ということに。
辛坊)いやいや、救世主というか、たまたまの巡り合わせっていうのはこの商売大きいですからね。でも、小倉さんは22年。すごいわ。
増山)本当ですよ。
辛坊)3月までですか。
増山)そうなんですよね。
「やめる前に1回出してくれないかな(笑)」
辛坊)ちょっとやめる前に1回出してくれないかな(笑)。ちょっと交渉しておいてください。
増山)辛坊さんが? でも、これは交渉次第では実現の可能性がとても高いと思われますが、進めてもよろしいでしょうか。
辛坊)じゃあ、ボランティアで出ますからと言ってね。ちょっと小倉さんに1回会いたいんですよ、僕。
増山)お会いしたことないんでしたっけ。
辛坊)ないんですよ。私この業界で、いえばローカルの司会者ですから、東京のキラキラした芸能人とか会わないですよ。
増山)私、いまでも覚えているですけど、小倉さんと以前番組(ニッポン放送『小倉智昭のラジオサーキット』)をご一緒させていたときに、この小倉さんの土曜日の番組が終わって辛坊さんの番組に移られるという形だったんですね。このニッポン放送で。
辛坊)うそ!?
増山)そうなんですよ。土曜日。
辛坊)え? 土曜日の、『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』の土曜日の午後1時からやっているときって、私の前のキャスターが小倉さんだったんですか。
増山)そうなんです。いまでも覚えているですけれども、小倉さんが「後任、誰?」って聞いたときに「辛坊さん」って言ったら、「ああ、辛坊さんの(番組)、僕も聞いてみたい」とおっしゃっていたのをいまでもすごく覚えていますよ。
辛坊)あら、そうですか。それは失礼しました。それはちょっと、どこかで挨拶しないといけないですね。
増山)ぜひこの番組に。
辛坊)あれ、本当にひどい目に遭わされたんですよ。私はなんの気なしに(ニッポン放送からのオファーを)受けたんです。何も考えずに行って、関東のラジオの事情なんかわからないじゃないですか。それで始めることになって、「すみません、ちょっとこれ、裏ってどなたがやっていらっしゃるんですか」「文化放送がみのもんたで、TBSが久米宏」……「ええ!? どんな枠だよ」。
増山)激戦区だったんですから。
辛坊)勘弁してよ、その枠……っていう。許してくれよ! みたいな感じでしたけどね。
増山)白羽の矢が立ったわけですよ。
辛坊)そうですか。小倉さんですか。まあまあ、そんなことで、お疲れ様でした。偉大な先輩でございます。
番組情報
辛坊治郎さんが政治・経済・文化・社会・芸能まで、きょう一日のニュースの中から独自の視点でズームし、いま一番気になる話題を忖度なく語るニュース解説番組です。
[アシスタント]増山さやかアナウンサー(月曜日~木曜日)、飯田浩司アナウンサー(木曜日のみ)