1972年(昭和47年)の本日8月5日は、小林麻美のデビュー曲「初恋のメロディー」が発売された日である。
ある世代の方にとっては、1984年のメガヒット「雨音はショパンの調べ」のイメージしかないと思われる小林麻美だが、そのデビュー時に彼女は正にアイドル軌道の真ん中にいた。1953年11月29日生まれで、高校在学中にモデルとして芸能界での活動をスタート。レコードデビュー前には、奈良富士子をブレイクさせた連続ドラマ「美人はいかが」や歯磨のCMへの出演で、次第に存在感をアピールしていたのだ。そして、18歳の夏に待望のレコードデビュー。
当時のアイドル事情を振り返ってみると、前年放送がスタートした伝説のアイドル製造番組「スター誕生!」からのデビュー第1号、森昌子が前月に「せんせい」で颯爽と登場し、さらにその前月には麻丘めぐみが「芽ばえ」でデビューしている。前年デビューした小柳ルミ子、南沙織、天地真理が若手女性歌手の筆頭として揺るぎない人気を確立する中、静かに次世代アイドルの浸透に向けてお膳立てが始まっていたのである。百恵・淳子が登場する前年のことだ。
小林麻美をこの路線の一角に位置づけるのには、何となく違和感がある。「中三トリオ」よりは一回り世代が上だし、華があるというよりもか弱いイメージで、当時小学校1年生だった筆者に対しても強烈なアピールは残さなかったという気がする。しかし、結果的に「初恋のメロディー」はオリコン最高27位ながら、100位圏内には17週ランクインという、息の長いヒットを記録したのだ。
果たして勝因は何だったのかと考えると、やはり楽曲の良さという結論にたどり着いてしまう。そう、筒美京平が新人のデビュー曲に込める「神がかり的な力」。特に72年前後のそれは奇跡的だった。麻丘めぐみ「芽ばえ」にせよ、「初恋のメロディー」の4日前にリリースされた郷ひろみ「男の子女の子」にせよ、翌年の浅田美代子「赤い風船」にせよ、実にマジカルとしか言いようのない、単なる歌謡曲を超えた永遠性を元から秘めていた。この曲も当然例外ではなく、橋本淳によるウブながら大胆な歌詞がポップなメロディーを得て、うつむき加減な歌唱の力ですんなりと心を捉えてしまう。勿論、この歌詞の伏線として、前年リリースされた橋本・筒美コンビの大名曲・平山三紀「真夏の出来事」があると想像するのも楽しいのだけど、終わりそうで終わらないカーデイトの帰着地点が「おうち」という一語に集約された途端、歯痒さが快感に変わってしまうのだ。なんて名曲なのだろう!
この後、「落葉のメロディー」「恋のレッスン」と王道アイドル路線でリリースが続くも、「ある事情」が重なってアイドル期はシングル3枚で一旦終了。74年10月に復帰した際はちょっとアダルトな方向性を狙い、その第一弾の曲名こそ「ある事情」だった。シングル4枚のリリースを経て、70年代後期からは女優としての活動がメインに。この空白期に歌手としての小林麻美のイメージを引き継いだのが、他ならぬ片平なぎさではないかと思う。同じ東芝EMI(当時)ということで、ディレクション的に共通項を感じてしまうのだ。
そして84年、ユーミンの後ろ盾を得て「雨音はショパンの調べ」で再度歌手復帰。原曲であるガゼボ「アイ・ライク・ショパン」との相乗効果もあり、オリコン1位の大ヒット。かつてのアイドルイメージを否定するような神秘的な歌手活動は、ジェーン・バーキンを想い起こさせ、和風美人もハイソになったなぁとため息をつかせたのであった。「初恋のメロディー」「落葉のメロディー」をフィーチャーしたファーストアルバムに収められている、筒美京平が以前いしだあゆみらに提供した隠れ名曲や海外のポップスのカヴァーで聴かれる王道アイドル歌唱に、70年代初期特有のきらめきを感じたくなるなんて思い始めたのは、彼女が田辺昭知社長の奥さんの座に収まり、あっさり芸能界を後にしてからはるか後の事だった。それから四半世紀の時が流れ、先日、婦人誌への寄稿で再び元気な姿を見せてくれたばかり。歌姫としては幻のままでいて欲しかったという気持ちもあるけど、まずは「おかえりなさい」と一言。
【執筆者】丸芽志悟