本日は「クレイジー・ダイアモンド」オリジナル・ピンク・フロイドのリーダーシド・バレットの誕生日【大人のMusic Calendar】

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オペル~ザ・ベスト・コレクション・オブ・シド・バレット,シド・バレット

"THE EARLY YEARS 1965-1972"という、27枚組のボックスがリリースされ話題のピンク・フロイド、本作は超ロング・セラーを記録した名盤"DARK SIDE OF THE MOON"リリースの前の72年までの未発表曲を多数収録した音源がまとめられたもので、再注目されているのが結成時のメンバーのシド・バレットである。1946年の本日1月4日は彼の誕生日、元気でいれば71歳ということになる。

シドはピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルという2人のブルースマンからバンド名を付け、ヴォーカル&ギターと作詞作曲もほとんど担当したリーダーで、彼がいなければピンク・フロイドは存在していなかったであろう。シドが全面的参加したピンク・フロイドのアルバムは"THE PIPER AT THE GATES DAWN"のたった一枚、シドのワンマン・バンドのアルバムといっても過言ではない作品であるが、数あるサイケデリック・ロック・アルバムの中で、本作品がその最高峰と呼ばれる程の傑作ある。

夜明けの口笛吹き,ピンク・フロイド

バンドはシングル2枚とアルバムをリリースし順調に活動を開始したが、シドのドラッグ中毒の影響もあってか精神的に不安定な状態が続き、TVショー出演時やツアーでの奇行が目立ち始め、米国ツアーが途中でキャンセル、バンド活動が続けられない状態になり、シドとは幼い頃からの知り合いであったデイヴッッド・ギルモアが加入、短い期間であるが5人のメンバーという時期もあった。

しかし68年3月正式脱退、一年ほど沈黙後にソロ・アルバムを2枚制作、デイヴィッド・ギルモアやロジャー・ウォーターズが制作協力した。ピンク・フロイド時代のサウンドとは違い、弾き語りに伴奏をつけたサウンドではあるが、その異次元の幻覚や狂気という言葉では表現しきれない世界観が表現され、彼の過去の体験からインスパイアされたと思えるような独特の詩の世界と、危機迫るヴォーカルの魔力には圧倒されてしまう。ソロ・アルバム"MADCAPS LAUGHS"はそんなシド・ワールドが発揮された名盤である。

Madcap-Laughs,シド・バレット

シドが抜けたバンドは曲を作っていたフロント・マンとヴォーカリストがいなくなり操縦不能になるが、その危機感が新たなフロイド・サウンドを生み、サイケデリックからプログレシヴ・ロック・バンドとも呼ばれるようになる。その4人のメンバーのバランスが最もとれた時期に制作されたのが"DARK SIDE OF THE MOON"になる。

狂気,ピンク・フロイド

シドは2枚のソロ・アルバム制作後、何度かライヴは行ったようであるが話題になることもなく、故郷のケンブリッジに戻り完全に音楽活動を停止してしまう。しかし75年に突然ピンク・フロイドのレコーディング・スタジオに姿を見せた、スタジオに来たシドは巨大に太りスキンヘッド、メンバーは誰1人としてシドである事に気がつかなかったほど変貌しており、精神状態も平常ではなかった。

その作品はシドに捧げたアルバムといわれる"WISH YOU WERE HERE"で、タイトル曲と収録曲の"Shine On You Crazy Diamond"こそ、シドに捧げられた曲である。その後メンバーとの交流はなかったが、何度か目撃情報が報道され、体型も戻り、ロンドンでショッピングされた姿も写真に撮られたりとやや平穏な暮らしをしていたとも思われる。

あなたがここにいてほしい,ピンク・フロイド

2006年7月7日61歳で亡くなるまで母と暮らしていたようであるが、どの程度の精神状態・病気があったのか、ドラッグの後遺症はどの程度だったのか、謎に包まれたままである。残された音源は少ないがそのカリスマ性に魅了されたミュージシャンやファンも多く、もうひとつの、いや本当のピンク・フロイド=シド・バレットの評価は忘れられることはない。

事実上、1995年に発売されたアルバム"THE PULSE"のツアーを最後に、本格的な活動は行っていないピンク・フロイドではあるが、08年にリック・ライトが亡くなり、デイヴィッド・ギルモアとニック・メイソンの2人が現メンバーということになる。もちろん、脱退したロジャー・ウォーターズが加わり、2005年"LIVE 8"で一度だけ全盛期のメンバーとして再結成したり、2014年にリック・ライトが参加した未発表音源で3人フロイドでアルバムもリリースしている。またギルモア、ウォーターズはソロ活動も行い、フロイドの曲を多く取り入れたツアーも行っているし、飛び入りや再共演の噂は常に絶えない。しかしシドがバンドに存在し続けていれば、また全然違うサイケデリック・ロック・バンド、ピンク・フロイドとなっていたであろう。

【執筆者】佐藤晃彦 / JEFF SATO(さとう・あきひこ):1955年10月13日生まれ、78~00年までワーナー・ミュージックとユニバーサル・ビクターで、主に洋楽・邦楽ディレクターとしてジャクソン・ブラウン、モトリー・クルー、ラウドネス、渡辺貞夫、松岡直也、憂歌団、喜多郎、hide/pata (X Japan)、Zeppet Store等を担当、独立後(有)ジェフズ・ミュージックを設立、音楽制作、インディーズ・音楽著作権管理、大学・専門学校講師、おやじバンド・イヴェント企画、音楽ライター、CDレコード・ショップ運営等を行う。

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